独り言
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2006年04月25日(火) テリーデイズというBandについて・その6

1990年2月〜3月

スージー・キューはその人脈を活かし可能な限り遠くまでドラマー包囲網を張ったがその成果は散々たるものだった


亜龍はスージー・キューが連れてきたドラマー達を
「大人になっても『オムツ』の取れないチンパンジーよりもひどいや
どいつもこいつも何が一番大切かって事を考える余地も無い程に可愛い『オツム』してやがる」
と小馬鹿にしていたという

その中にはスージー・キューが未だに否定を続けるあの『是空浪士』のドラマーも含まれていたらしいのだが「服の着方が気に入らない」と亜龍に門前払いを喰らわされたという

余談だが亜龍は「人間性や趣味趣向は服装や髪型に一番良く表れる」という多少屈折した持論を強く持っておりそれは彼が路上で歌を歌う時に着ていた『Super Half Breed』と書かれたTシャツのエピソードやその後の風変わりなステージ衣裳からも窺い知る事が出来るだろう


しかしこの事柄に関して彼の日記をめくってみるとある日の記述に

あの様な格好は「したくてしてる」訳ではなく「俺自身の心が貧しい」のだから「仕方ない」と書き
本当は「何処までもシンプルなモノがいい」が「そんな大それた事」はまだ出来ないし

「こんな事を考えている自分が大嫌い」

だと記されておりその矛盾と自己否定をはらんだ複雑な心情を読み取ることが出来る





なにはともあれ今回ばかりは流石のスージー・キューも力及ばずドラマー捜索に費やされた奔走も全て無駄に終わるのだがそこで諦める様な彼女ではなかった



「いないなら…作ればいいと思ったのよ


単純でしょ?」




その時の様子を亜龍は
「理不尽な裁判所」と例え
「スージーはまるで妊娠中の最低裁判官で次から次へと罪無き罪人をこしらえていってた」と言っている



スージー・キューは蛇孔の若い人間を手当たり次第スタジオへ連行しドラムセットに座らせ「取り合えず叩けよ」と命じたという
しかしそんな無理難題に答えられる者等いるはずも無くほとんどの人間が彼女から信じられない程の罵声を浴びせかけられ肩を落として帰っていった

そして一通りめぼしい人間の『裁判』が終わるとその中から『多少なりとも罪の軽い』者を何名かピックアップし亜龍の時と同様スタジオに閉じ込めドラムの練習をさせたという(実際には亜龍の時とは比べられない程に厳しいものだった様で経験した者の話では「刑務所よりも少しマシな環境」だったということである)



その時の事についてスージー・キューはこう弁解している

「ロックと出会ってから亜龍は髪を伸ばし始めたのよね
…ほら彼って見た目とか凄く気にする人だったじゃない?
それであの頃は多分もうかなり伸びてて…右耳がほとんど隠れちゃってたのよ

…知ってるでしょ?
彼の右耳が私にとって凄く大きな意味を持ってたって事

それで多少イラついてたかもしんないわね」


「それでは亜龍と一緒に居る意味はもうあなたの中に無かったのでは?」という問いに対しては

「あたしが几帳面な性格だってしってる?

…しかもかなり病的なのよこれが

一度始めた以上中途半端な所でやめるなんて事死んでも出来なかったわ

私はあのバンドを必ず形にして世に送り出さずにはいられなくなってたのよ

…それにあの頃には亜龍の書く曲にも多少興味が湧いてきてたし…まぁ多少だけどね


とにかくどんな手を使ってでも私はドラマーを作り上げなきゃならなかったのよ」


そう語るスージー・キューのドラマー育成法は日に日にエスカレートしていくが思う様な成果は得られず更に苛立つスージー・キューと相変わらず傍観しているだけの亜龍のもとにある一つの出会いが訪れる


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