独り言
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2006年04月26日(水) |
テリーデイズというBandについて・その7 |
1990年4月1日
スージー・キューは 「もう完全に手は尽くしたと思ってたけど…流石の私もあの子だけはノーマークだったわ」と言う
この日スージー・キューがいつもの様にスタジオへ行くと中から歴としたドラムの音が聞こえた 驚いた彼女が慌てて扉を開けるとそこに居たのは『まだ学制服も似合わない程の少年』だった
「もうビックリよ マジで目ん玉飛び出したんだから
いやマジだっての」
彼は『ジョージ』と呼ばれておりスージー・キューと同様に本名・年齢そして国籍も定かではない 歳の頃なら十歳になるかならないかという位で蛇孔とは余りにも無縁な存在に思えるが一年程前『ある理由』から蛇孔に拾われそしてこの頃はいつもスージー・キューの傍に居て小間使い的な役割を任されていた(スージーに命じられて亜龍にベースを届けたのも実はこのジョージであった)
「あの子もともと控えめな性格で中国語もまだそんなに達者じゃ無かったから…言えなかったんでしょうね
それで私がスタジオに来るのを先回りしてアピールしたのよ 『僕ドラム叩けますよー』って
技術的にはまぁまぁだったけど…その叩く姿が良かったの 必死というか…一生懸命とも違うのよねぇ
とにかくガキとは思えない位に鬼気迫るドラミングだったわ
その時当然『なんでこんなガキが!?』って疑問に思ったけど…質問したって通じゃしねぇしさ
…取り合えず『これは使い物になるぞ』ってそれだけを思ったのよ」
スージー・キューの言う通りドラムが叩けるにしては余りに幼すぎるこの少年が歴としたドラマーとして存在する事実の裏には亜龍やスージー・とは比べられない程に悲しいエピソードが大きく影を落としていた
しかし皆がこの事実を知るのはそれよりずっと後の事となる
テリーデイズ解散から約五年後あるラジオ番組のインタビューでジョージは初めて自身の過去について語っている
「僕は…育ててくれた人の話だと中東アジアの何処か…小さな村の生まれだそうです
…そこで生まれてすぐに売られたんです」
そしてこう続ける 「それも育ててくれた…だから僕を買ってくれた人が教えてくれたんですけど …その人っていうのは砂漠を行くキャラバンに付き添ってヨーロッパとユーラシアの間を渡りながら芸を披露する小さなサーカス団の人で …えぇいるんですよそういう人達が未だに…回帰主義とでも言うんですかね 古き良き物を後世に残そうみたいな…まぁそれはどうでもいいんですけど
それでその『渡り』の途中で僕が生まれた村に宿をとったんですって
そこの酒場で知り合った半分アル中の女が僕の生みの親らしいです
その女が言うには子供を…だから僕ですね 僕を産んですぐにダンナを亡くして 今付き合ってる男がいるんだけどそいつがとんでもないロクデナシで その女が体を売って稼いだ金で別の女を買う様なロクデナシで …挙げ句借金まで作ってどうにもうまくいかないと それでこれ以上子供を育てる事が出来ないからアンタ買ってくれないか?って
嘘みたいな話だけど僕は実際にそんな現実を与えられたんですね」
「僕は母親とおぼしき女とそのロクデナシの彼氏の明日の夕食の為に売り飛ばされたんですよ」
余りに絶望的な現実にインタビュアーも言葉に詰まってしまったがジョージ自身こういった過去を「悲観的には捉えていない」と言いむしろ「感謝している」と言っている
「こういった事が無ければ僕は多分一生その小さな村で彼女等と同じ様な現実しか得られなかったでしょうから」と
その後ジョージはそのサーカス団の面々に育てられある程度大きくなると雑用や買い出しを手伝わされる様になる しかしその内容は大人でも腰を抜かす程の重労働も少なくはなく時には砂漠越えの為の水を何十リットルも汲みに行かされる事もあったという
彼のドラミングの力強さもこういった過去が産んだ副産物なのだと考えれば少しはこの悲しい現実も救われるだろうか?
続けてジョージはドラマーになった経緯を話し始めた
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