独り言
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2006年04月28日(金) |
テリーデイズというBandについて・その8 |
ジョージはこう続ける
「そのサーカス団は次の街に移ると必ずそこの中心地にある広場で広報活動としてマーチングバンドを編成して演奏するんですよ
…あっでもマーチングバンドって言っても行進はしないんですけどね 小さい街の時は行進するんですけど大抵しないです… まあいいですかそんな細かい事は」
ジョージが言うには街で一番大きな広場の真ん中にドラムを据え置きその周りを笛やラッパを持ったピエロ達がグルグルと歩きながら演奏するのだという
「そのバンドでドラムをやってた人が『トム爺さん』っていうんですけど…とにかく爺さんでね
…音が出てないんですよほとんど
それで代わりに僕がやることになったんですけど」
サーカス団の団長の命を受けトム爺さんの指南によってドラマーとしての道を歩み始めたジョージであったが当然その道は簡単なものでは無かった
「トム爺さん…ヨボヨボのくせに気だけは強くて
練習中に僕がミスると…あのサーカス団に付き物のムチで背中を叩くんですよ
だから当時はうつ伏せでしか眠れなくて未だにその癖が抜けないんです
とにかく厳しかったですよ
まぁ…お陰で今の僕があるんですけど」
その小さなサーカス団にはムチを用いて調教する必要がある動物等は居なかったのだが 「トム爺さんはヨボヨボのくせに格好付ける事だけは一人前だった」 とジョージは言い 「今でも背中のアザが消えないんですよ」 と笑った
ジョージはそれからたった一ヵ月程でトム爺さんを退け代わりにマーチングバンドでドラムを叩く様になる
ピエロの格好をして
「僕がテリーデイズでステージに上がる時してたあの『ピエロのメイク』あるでしょ?
あれは奇をてらってる訳でも茶化してる訳でも無く僕にとってのドラマーの原点をあらわしてるんです
あのメイクをするとあの頃に戻れるんです いつもすぐ後ろでトム爺さんが見張ってるって ムチで叩かれたく無かったらドラムを叩けって
一音一音にそう言い聞かせる事が出来るんです」
テリーデイズとしての初ライブの時にジョージが「ピエロのメイクをしたい」と二人に申し出たところ…もちろん二人は彼の過去については何も知らなかったのでスージー・キューは「意味が解らない」と辛辣な態度を取り「馬鹿は一人で充分だ」と亜龍を横目で見ながら吐き捨てたという
しかし意外にも亜龍はこの提案に
「名案だ」
と賛成の意を示し
「間違いなく似合う」
と力強く言い 珍しくスージー・キューをなだめる役を買って出たという
ジョージのドラムはサーカス団員の間でも「ちゃんと音が聴こえる」と評判で彼もそんな状況を喜ばしく思っていたが心の中ではあるわだかまりが生まれていた
「マーチングバンドのドラムって言ったら…知ってます? 『ツッタカターツッタカター』ってヤツがほとんどですよね
もっとこうしたら華やかで格好いいのにっていつも思ってました
シンバルもタムもちゃんと揃ってるのにどうして叩かせてくれないんだろうって」
そう感じていたジョージは毎晩枕や砂袋を並べて仮ドラムを組み秘かに独自のドラムパターンを考案し誰にも言わずに本番中勝手にすり替えたのだという
「…えぇ皆怒ってましたね
しばらく誰も口を利いてくれませんでしたよ」
しかし「皆が怒るのも無理は無い」とジョージは続ける
その時のドラムパターンとはテリーデイズのコーラス部分で彼が多用する手数を重視したパワフルなものを更に強引にしたものだったらしくきっと広場には彼の延々と続くドラムロールだけが響いていたに違いない
「でもそれで確信したんです
僕はドラムを叩くという行為なら心から楽しめるんだって
そしてここにはもう僕の居場所は無いって」
ジョージはその晩うつ伏せで寝具に包まりながら「次に大きな街を訪れたら…走って逃げ出そう」と決意するが彼の衝動はその機を待たずして漆黒の暗闇へとすでに走りだしていた
それは北京から約120kmも離れた砂漠の真ん中だった
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