* HOMEWORK DIARY *

2004年05月10日(月) たまには泣きごと言わせて

今日は一日じゅうHPの引っ越しを検討して、勉強らしい勉強はしていません。

さてと、GWも完全に終わりましたね。
日本でののんべんだらりな生活も、残すところ1ヵ月を切りました。

どこかで書いたかもしれませんが、今回の一時帰国は、夫の転職に伴うビザ変更が目的です。
9-11の後、入国審査がどんどん厳しくなっていくアメリカのビザ発行は、かつてのように1ヵ月やそこらでは済まないことは予想していました。
が、半年もたつと、やはり日本の慣れた生活にどっぷり浸かって、アメリカに戻ることがだんだん憂鬱になってきました。

もちろん、帰国して2、3ヵ月は逆ホームシックで、「早くアメリカに、カレッジに戻りたい!」とそればかりを考えていましたが、やはり日本での生活は楽なんですよ。

今回帰国してまず思ったのは、「看板が全部読める!」。
それから、「自分の考えを遠慮なく伝えられる!」。
最初はちょっと戸惑ったほどです。

まーったく英語が喋れない&理解できない状態で渡米しても、2年も学校に通っていれば、最低限の生活には困らなくなります。
でもやっぱり、たとえばお店で商品を取り寄せてもらったり、学校の先生に子供のことを細かく相談したりなんてことはできませんでした。
だから、全てにおいて慎重になるし、プライドも低くなるし、あきらめがよくなりました。

自分の言葉で、知らない人にも自分の意志を伝えられる気持ち良さに慣れてしまった今、またあの無口な生活に戻るのかと思うと、胃が痛む思いです。


最近日本で知り合ったアメリカ人の人に言われました。
「初めてアメリカに引っ越したときよりは英語がしゃべれるようになってるから、気持ちも少しは楽なんじゃない?」

うん、確かにそうね。
LA空港に着いてすぐ、コーヒー買いに行かれるもの。
バゲッジクレイムでも、「すみません、手を貸してください」って知らない人に頼めるもの。

だけど逆に今回は、言葉が不自由な日常生活がいかにストレスフルかってよくわかってるし、「言葉が不自由なのは、自分の努力が足りないせい」と、また毎日凹むんだよね。



あと1ヵ月弱。
帰国したらクラブ行こうとか、ライブ行きまくろうとか、温泉旅行しようとか楽しみにしていたけど、結局やり残したことはいっぱいある。
でももう遊びはどうでもいいよ。
ただ、もっといろんな人に会っておきたかった。
親類や古い友達、そして新しい出会い。

次の帰国はいつになるか予想もつきません。
1年以内にまた帰ってくるかもしれないし、グリーンカードがらみで7、8年はアメリカから出国できないかもしれない。

唯一最大の願いは、今度会える日まで、もうすぐ70歳になる母に元気でいてほしいってことです。





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