うちのお客の中に、パチンコ狂いのおばあちゃんがいる。 おばあちゃんといっても、かつて函館で最もお客を呼んだ経験のあるクラブのママなので、服はバチッと着こなし、またお上品である。 だが、毎日パチンコに行っては八万も十万も負けてくるので、ガス馬車御者の間では、パチンコキ●ガイだのなんだのかんだの、と罵詈雑言があふれかえっていた。 おいらは、そういうガス馬車御者の相手はしていなかった。 ただ、よく乗ってくれるお客さんだから、良くしてあげよう、とそれだけを考えていた。 どうせ、文句をいうガス馬車御者は、一日で八万もパチンコに費やせる彼女の環境がうらやましいだけなのだ。 それに対してひがみ根性を剥き出しにしているだけなのだ。
そんなある日、彼女の口から驚くべき事実を聞いた。 「私、ガンだったの」 どこのガンかは聞かなかったが、五年前に手術をして除去したはずだったらしい。 今のところ、再発する気配はないから問題ないのだろうが、ガンだと告知された時には、死を覚悟したという。 そして、ガンがなおった(と思われる)現在、彼女が自分がやりたくて仕方のなかったパチンコにはまっているのだという。 今まで、自分を律し、やりたいことをやらずに働いてきたのだ。 将来がどうなるかわからないから、今は我慢をする。 そうやって生きてきた。 だが、ガンになってはじめて判ったのだ。 未来を見つめて生きるのは良いことだが、未来に捕らわれすぎて、今を粗雑に扱うと、絶対に後悔する、と。 今を粗雑にしての未来はない。
おいらは思った。 彼女の言葉は、同時にゆずの言葉だった。
おいらが、群馬に越してくる時、チェイサーを買うといった。 中古で買っても270万。 だが、ゆずは少し考えたが買っていいといった。 確かに、おいらがずっと欲しくて、何年もお金をためて買った車だ。 十年乗るつもりだから、いいじゃん、とおいらは思った。 その熱意に負けて、買うことを許したのだと思った。
だが。 以前ゆずから聴いたことがある。 彼女の父親は、自分の好きなことをできずに亡くなった。 だから、おいらには、自分の好きなことをやって、『今』を謳歌して欲しいのだ、と。 だから、チェイサーを許し、ガス馬車御者をやることを許した。 果たして、ガス馬車御者が結果的に良かったのか。チェイサーが結果的に良かったのか。 それは将来になってみなければわからない。 だが、その将来を迎えることができるかどうか、それがまず問題なのだ。 楽しいものにせよ、そうでないものにせよ、まず、未来を迎えられるかどうかが問題なのだ。 だから、おいらもアコードワゴンを許す。大学を許す。通販を許す。 将来を迎える為の今を謳歌することを許す。 二人の今を謳歌することを許す。 お金は、未来の破滅を回避できる程度の蓄えを残しておけば良いだろう。
だが、浮気は許さん(爆)
|