2002年05月01日(水) 限られた命をどういきるか

本日、朝最初にこなした仕事が、病院往復だった。
お客の家の前につけると、首輪をつけているが綱をつけていない犬が、車の前にひょこひょこ出てくる。
なんだろうと思ったが、そのままお客を待つ。犬は、こちらの様子をうかがいながら、お客が出てくるはずの集合住宅の敷地の中に入っていった。
ややあって、お客が出てくる。このお客は、よく飲み屋に連れて行くおじいちゃん。
今日は病院というのは、ちょっと意外。
病院を往復後、また集合住宅の前に車をつけると、犬が迎えにきた。
どうやら、お客の犬らしい。
お客がガス馬車から降りると、犬はゆっくりと駆け寄り、二、三回尻尾を振り、飼い主を見上げ、短く甘い声でうなる。
お客は、頭を軽く撫ぜ、そのままゆっくりと奥の集合住宅へと歩みを進めた。
犬は、そのお客の歩みの邪魔をすることなく、後につき、ゆっくりゆっくりと奥に入っていった。

おいらは、その様子を見ていて、ああ、この犬と飼い主は、長年連れ添った夫婦みたいだな、と思ってしまった。
最近熟年離婚が増えている中で、こういう夫婦が一体どれほどいるのだろうか、と考え、なんかほのぼのとしたいいものを見せてもらったな、という気になっていた。



…と、夜。
再びそのお客から呼び出しがかかる。
今回は恒例ののみらしい。
と、気になる一言が。
「あの犬、いるでしょ?あの犬が生きている間は生きていたいんだよね……」

どういう意味だろう。
おいらがその真意を正すと、彼は、食道がんで余命が半年なのだそうだ。
びっくり。
そういえば、前々から、胸がいたい、心臓が痛い、といっていたっけ。
ゆずに聞いたところ、すでに食べることができないのであれば、だいぶ進行している、とのこと。
彼は医者に行ったわけではないが、体調から全てをさとっているのだという。

彼は三年前に、悪性の脳腫瘍をとった。
その際、医者に、今回は運良く取れたが、三年後にまた足にむくみがきたりしたら要注意だ、といわれていたようだ。
そして、実際に足にむくみがきた。加えて食べることができない。
実は、今日の朝の病院は、ガン検査の申し込みだったのだそうだ。
彼ははっきりいった。今回病院に行くのは、痛みをとめるのと、正確な余命を知るためなのだと。

飲みにいくのは、痛みを紛らわせるため。
しかし、そんなもので痛みがまぎれることはない。
すでに、ガンは彼の楽しみすら徐々に奪い始めていた。

「犬のためにはできるだけ長く生きていてあげないとね」
おいらにとって、そう声をかけることが精一杯だった。
お前は後半年で死ぬ、といわれた人の気持ちなど、わかるはずがない。
頭ではわかっていても、心で理解できないだろう。
彼は、自分自身が後半年でこの世を去ることに、後悔はないようだった。
心残りは、あの犬…。

会社の社長をしていたが、愛人の問題で家族離散。その後会社も倒産し、集合住宅の一員として今を暮らしている彼。
その人生は、おそらくおいらには想像もつかないことだったろう。

ガス馬車御者をやらなければ知らなかったような一つの人生が、一つの局面を迎えようとしている。


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彩葉 [MAIL]

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