ある漫画家の池袋線日記...ばて

 

 

映画めも - 2009年05月05日(火)

『砂と霧の家』
税務署のミスにより、税金の滞納で、家が差し押さえにあってしまうジェニファー・コネリーと、イラン革命により亡命してきたベン・キングスレー一家の話。

差し押さえをされて売り出されてしまった家をキングスレーは買ってしまうところから悲劇が始まる。

亡命してきた元金持ちの少佐キングスレーは、何とか元の様なお金のある時間を取り戻すために、日雇いのアルバイトをしながら屈辱的な生活を耐え忍んでいる。

そこに、差し押さえ物件は時下の3分の一で売り出しているということを知って、やっとの思いで、差し押さえ物件を手に入れる。

ここにしばらく住んで売り出せば、これは差し押さえ物件ではなくて、一般的な物件として3倍の値段で売ることが出来るのだ。

しかし、これはミスによる出来事が発端になっている。
ということでここから悲劇が始まる。

最後は人間が死んで終わりになるので、夢も希望も無い話になってしまっていて、観た後とてもつらい気持ちになる。
何とか少しでも光を描くことは出来なかったのだろうかと思えてしまう。


『プロフェッショナル』
ジーンハックマンという俳優はどんなへぼ作品でも名作と言えるほどの水準まで上げてくれるようなところがある。
やっぱりどんなシナリオでも、出てくる人間次第で、キャラクターが浮かび上がってきてくれたり、何も感じないものになってしまったりするんだな・・・
監督よりもシナリオライターよりも、俳優で観る映画を決めると結構はずれがないのはその辺のことが理由なのかもしれない。

本当に俳優の力には頭が下がります。
・・・で作品のできはといえば、かなり面白いんだけれど、見せ場ばかりの連続で作品が少し軽くなってしまった感がある。
もう少し生活感とかを間に挟んで入れてくれれば、すごいこってりした名作になったのに。


『チェーンリアクション』
キアヌ・リーブスとかモーガン・フリーマンとか名優が出ているにもかかわらず、退屈な作品でした。
悪者との追いかけっこというよくある形のドラマでした。


『ブロンコ・ビリー』
イーストウッドの初期の作品で、本人はこの作品が転機になって、その後の自分の作品のタッチが出来上がっていったといっている。

でも、見る人にはそんなにわからないんだろうな、形になって現れてきたなと見る人が思えるようになるまでは、もう何本か後になることが多い。

でも、イーストウッドの映画の真骨頂はコメディーやブラックユーモアにあるということがわかっているので、この映画のどの部分が、この後のイーストウッドの映画を作って行ったのだろうということは良くわかった。


『マルコビッチの穴』
まれに見る傑作だと思った。
ああいうものを作るとたいていは、説得力の無いファンタジーになったり、構成が下手で何を描いているのさわからないものになってしまったりするけど、まったくそんなことはなかった。

ファンタジーなのに、ラストシーンに漂うあの物悲しさと面白さはいったいどういうことなんだろう。

自分も、もっともっと力をつけなくてはいけないと反省してしまうような、斬新で力のある作品だった。


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