ダメダメちゃむ日記
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2003年01月22日(水) 何故私は語るのか

それは、まだ私が回復していないからだ。
母に対して、職場の無理解に対して、
まず私は怒ることができた。
その次に私の回復の為のステップ、
「語る――自分が救われるために」(@穂積純著「甦える魂」より)
に入っているからだ。
今、私は自分に語ることで、「生きなおしている」(@同)
これが本当の私だと、書くことで
「半分しか生きてこなかった、生きた実感がない、その無念さ」(@同)
を語り、
「泣いたり怒ったりして、自分の感情を外に出せれば、過去はその支配力を少しずつ失っていく」(@同)
ことを実感している。

組合という名の無理解。
「みんな同じ」であることを要求する学校現場。
「○○さんだってがんばっているんだから、ちゃむさんもきちんとがんばらなきゃ」
と、善意で与えられた私への助言。しかもその助言を下さったのが、私への陰口を職員室で聞くに耐えられず、私の空き時間にこっそり呼び出して言ってくださったのが他学年の「障害児教育担当」だというこの現実!?
○○さんは過労から病気になった。身体的症状が大きいため、未だに通院が欠かせない。けれど、○○さんは学校にいる時はその学年の為に、私にはとても真似できないほど、いろんなことを頑張っていらっしゃる。
けれど、前任校で一緒だった私は知っている。
○○さんは教師の中でも抜きん出て「できる先生」であることを。
だからこそ、がんばりすぎて彼は過労から病気になったことを。
そして、彼と私の病気とは全く異なることも。
それでも、彼女は善意でもって私に言う。
「遅刻しないように自己管理しなきゃ」
「○○さんみたいに、学年の為にがんばっているところを見てもらわなきゃ」
これは善意なのだ、わかっている。この人に悪気はかけらもない。隠し事がいやだから、わざわざ面と向かって私に言って下さっている。
「それができないのが、私のうつ病(あくまでも私の場合)なんです」

通じないだろう。3年前にカムアウトしても、周囲の人の心は少ししか変わっていない。そして、同僚にうつ病患者がいても、うつ病を勉強する時間の余裕も心の余裕も教員にはない。そして、興味もない。
ただ、私が突然休むことで、「自習監督の為に自分の空き時間が減る」のが迷惑だから、私を冷たい目で見る。○○さんはあんなにがんばっているのに、全くちゃむさんときたら……。
周囲の目がそう言っている。これは被害妄想ではなかった。わざわざ他学年の先生が見かねて助言を下さるくらい、学年部において私への無理解と偏見は大きいのだ。

このメンバが「共生」を「障害者と共に生きる」総合的な学習を進めるのだ。
同僚の「うつ病」というハンディすら受け入れない教師によって、生徒は「障害」と「共生」を学ぶのか!?
最早、ため息しか出てこない。
知的障害を学ぶ27名の訪問可能な施設を探していた私に、総合的な学習の担当者S先生は言った。
「そんなの、養護学校にでもやりゃあいいじゃん?」(発言のまま)
頭が沸騰した。
「養護学校の知的障害児はまだ療育過程です! 病気も症状も嫌悪刺激も一人ひとりで全く異なります! 何も予備知識もない中学生が集団でどかどか入り込んだら、向こうの生徒さんがパニックを起こします! そんなご迷惑なことできません!」
S先生は私の発する単語の意味すらわからなかったのだろう。きょとんとしながら、
「あ、そうなの? じゃあ……がんばってね」
そう、これが、現実。

だからこそ、私は歩くことをあきらめない!


ちゃむ |MAILHomePage

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