ダメダメちゃむ日記
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夜から通夜なので、出勤しました。 短縮5時間授業であり、私が副担任をしているクラスの担任の先生も、 実のお父さんの危篤状態が続いていてお休みだったので。 そのクラスにはある軽度障害を持つ生徒がいるのですが、 病院に行っても、彼の障害は診断されることなく、 また親御さんの逃げも手伝ってか、 彼の状態は二次障害、反抗的態度へと悪化している状態です。 昨日も今日も、私は散々彼の反抗を受け、深く傷つきました。彼への指導は必要でした。 今日は通夜があるため、私は帰りの会直後に帰らなければならないので、 学年の生徒指導の先生に相談して、指導をお願いして、年休をいただいて帰りました。
娘たちには、昨日の夜遅くに、伯父さんの死を告げました。 昨日会った人が、今日亡くなったという現実に、 娘たちはかなりショックを受けてポロポロ涙を流しました。 生と死は、子どもにとってこそ必要な教育だと私たちは考えていますので、 日曜日にお見舞いに行った後、2人分の礼服と靴は買っておきました。
お通夜はご生家で営まれました。長い間療養生活を送っていた彼を、最期は生まれた家に帰してあげたい、というご遺族の願いだったようです。 我が家からは高速を使っても車で2時間弱の距離です。 金襴緞子の布団で、顔に白い布を掛け、彼は横たわっていました。 大きい人でした。 私はほとんど話したことがありませんでしたが、 誠実で家族思いの優しい人でした。 ダーなど「彼が実の兄だったら!」と何度思ったか知れないそうです。 私と娘sは義弟夫婦とその長男(中1)一緒に、奥の炬燵で通夜が始まるのを待ちました。 私は、生徒に散々傷つけられた心が痛んでおり、何も話せませんでした。 伯父の死の知らせには涙をボロボロこぼした次女(小1)でしたが、 今、隣の部屋にご遺体があり、これが本当に最期のお別れだということまでは実感しがたく退屈していたので、次女を抱きしめて私自身の疲れた体を休めていました。
義兄は怠惰な生活を送っていたせいで太ったのでしょう、 礼服も着ず、とんでもない服装で現れ、呆れる以上に彼が身内かと思うと寒気すら感じるほどの恥ずかしさを隠し切れませんでした。 ダーは彼が勝手に仕事を辞めて以来、 義父母の世話を任せていることもあって、 幾度も金銭的援助をしてきたようですが、 義兄はそれを当たり前であるかのように思っており、 先日不幸な事故でまとまった金額のお金が入ったことも内緒にしており、 全く返す気もなかったようで、 ダーは激怒し、即刻返すように言ったそうですが、 振り込むと約束だった昨日も今日もお金は振り込まれていませんでした。 土曜だったか、私も激怒して、義兄に電話して散々抗議をしたのですが、 義兄はそれすらもほとんど聞いておらず、ろくに記憶もなかったようです。 もちろん、私には目すら合わせません。 私も義兄に近づくのさえ嫌で、 お坊様のお経の時も(子どもがいたせいもあるのですが)次の間に控えてお念仏を唱えました。 ご近所や身内での打ち合わせなどもあるようだったので、 読経の後は早々に退散しました。 ダーの運転がとても乱暴で怖かったのも、義兄への苛立ちが原因でした。 帰宅すると、もう起き上がれませんでした。 娘sの連絡帳(明日の欠席連絡)は、長女が書きました。
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