ダメダメちゃむ日記
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葬儀は葬祭場で行われました。 ダーと娘sと4人で参加しました。 私の父が亡くなった時、従兄弟姉妹は全員参列してくれましたので、 それが当然と思っていたのですが、何故か亡くなった彼の甥姪(の小さい子)は娘sだけでした。 義弟の家は子どもが5人もいて、かなりの借金(我が家にも)がありますから、礼服を買う余裕がなかったのではないかと私は勝手に想像していますが、それもどうなのでしょう?<義兄から知らされていなかったので礼服の用意ができなかったこともあるでしょうが。 実の伯父の葬儀にも参加しないで、子どもたちはいつ「命の尊さ」を学ぶのでしょうか? 娘sが退屈するのは、昨日のお通夜でわかっていたので、 本(長女愛読「ハ○ー・○ッター」)とお絵かき帳を持参しました。 葬儀の最期に、彼の長男(23歳)が涙ながらに、親族を代表して挨拶した姿を見て、父の葬儀を思い出しました。
20歳の兄が喪主となり、18歳の私が遺影を持ったあの日のことは、 つらかったのでしょう、これまでほとんど思い出すことができませんでした。
子どもたちを立派に育て学校を卒業させ就職や結婚も決まり、 それでも55歳の若さで亡くなった義姉のご主人も、 人生半ばにして病に倒れ、死すことはどんなにか心残りであったことでしょう。 ましてや、49歳の若さで、過労と妻から追い詰められて発病した心の病気を理解されることすらなく、家族から見捨てられ、愛想を尽かされ、 娘の大学受験を前にして追い出されるように追い詰められて亡くなった父の心の痛みを……40歳になった私は初めて想像して涙が溢れました。
娘sも何とか子どもなりのペースで、祖母以来の通夜・葬儀・初七日に参列し、おとき(会食)もいただきました。 それが身内として最低限の礼儀だと私たちは思っていますから。 看病疲れ、通夜・葬儀と張り詰めてきた義姉と、やっとほんの少し話せました。 「お義姉さん、困ったことがあったら、(義兄になんか相談して事態が悪化する前に)ダーに相談して下さい。必ず(ダーが)駆けつけてお役にたちますから」 私からは、それしか言えませんでした。 義兄は私とは目も合わさず(こちらも無視を決め込んでいましたから) 一言の挨拶もなく、別れました。
今日は、父の命日でした。 でも、父の遺影すら飾っていない実家には行きませんでした。 母の態度に不愉快な思いをすることはわかっていましたから。 墓には、発病したての20代の頃、遺骨と一緒に墓石の中に小1時間もぐって以来ほとんど行っていません。 父の墓は私の心の中にあります。あのガランとした空間にあるのはただの遺骨。 手を合わせなくても、線香を立てなくても、父は私の病とともに、私の心の中にいます。
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