夢見る汗牛充棟
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2000年03月10日(金) 飯田さん

飯田さん






とある

小学校の裏手で

小さな文房具屋を

営んでいる飯田さんは

ひょろりと背が高くて

髪が真っ白な爺さんだ

月末になると車に乗って

やってきて領収書片手に

「こんにちわ」と椅子に腰掛ける

飯田さんは特に急ぐ事もないので

美味そうに煙草を一服ふかす

目の前の緑茶をゆっくりすする

立派になった息子のことや

可愛い孫達のことを嬉しそうに

ぽつぽつ語っていく 飯田さんは

かつて一度だけうんと昔の話をした

シベリアは辛かったねぇ

飯田さんはあやふやな眼つきで

吐き出す煙を追っていた

おそらく長い時間を労苦に

打ち据えられたのであろう

飯田さんはひょろりと痩躯で

こなれた革のようにしなやかで

凪いだ海みたいな表情をする

背後に転がっている自分史は

石ころのように目立たないが

時は飯田さんに敬意を表すごとく

やわらかく過ぎてゆくようだ

一杯の茶を飲み干して

領収証を書き終えて

飯田さんはえっちら

帰ってゆく


恵 |MAIL