夢見る汗牛充棟
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2002年12月08日(日) |
とりとめない日記付けたり本の帯 |
『不安な童話』 恩田陸 新潮文庫 〜私を襲う、記憶が襲う―。〜
「もやもやした気持ち悪さ」というのか、 「何かが引っかかってるような不安定感」というのか。 そういう味を求めて、恩田さんの本は買ってしまいます。 なんか、女の匂い、鏡に映る像、心の蓋。 わずかなずれに気が付いて、やな気持ちになるような。 恩田さんが、女ばっかり書いてるわけじゃないですが、 何故かそうなのです。私はね。
どうでもいいけど、この本「解説」がとりあえず嫌い。
〜小説には、とどのつまり、面白い小説とつまらない小説しかないのだから。 そして、『不安な童話』は、間違いなく、前者である。〜
本気で言っているならば、幸せじゃのう、とは思うぞ。
んが
「面白い」・「面白くない」は、激しく個人の主観に依るところが大きく、 絶対的なものじゃないわけで。どうもこういう括り方なさるやりようは、 胡散臭くて、いやんな感じです。 こういう事仰る方に、当該作品が「面白くなかった」と言おうものなら 「あらん。お馬鹿さんにはちょっと難しかったかしらん。ふふ〜ん」 と鼻先で笑われてしまうのか。どきどき。
関係ないけど
「●●を××と捉える人間には▲▲は読んで欲しくない。」 (或いは好きになって欲しくない)
上の発言も聞くたびに「何様じゃねん、おんどれは」と 尻の穴から手ぇ突っ込んで奥歯をがたがた言わせたくなるんだ。 すまん、狭量で。
そんなのは、「個人の勝手じゃよ」
これは極論すると『創竜伝』で芸術的な陶芸品を、『わしが買ったんだか ら、痰壷にしようがわしの勝手じゃね〜かよう。文句あんのかよう!!』 とかほざいて、竜堂家の次男坊に折檻されていたおやぢがいたように記憶 しているが、あたしゃそいつと同じことを言ってるわけなんだな(汗) うわ、悪人だよ。悪人。
極論にすると、おやぢにヤキ入れた竜堂続さんが正しいような気がしてしまいますが どうにも、「●●を■■と感じる事のできる人だけ▲▲して下さい」っつう 差別化・資格を求めるというか、そういう選民意識って反吐でますって。 作者から言われるのも嫌だし、読者(評論者)から言われるのも嫌だね。
「教養のない人間は本読むな。芸術見るな。」 とは、言わないのね、そいつら。
ことに作品に関する感想とかそういう主観の部分でそういう差別意識を 持った発言されるといやんな気分なのね。
●●を■■と感じられない人間が、▲▲しても、よかろう?
ただ、 「あ〜、あの壷?痰壷にしてるよ。」 とそれを聞いて気分を悪くする人間の前で口にしない事は、 他者への気遣いにあたいすることでありまして、全くの別問題であると わしとしては思うんだが。
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