夢見る汗牛充棟
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| 2006年08月01日(火) |
※ 私的メモ メノン |
メノン <徳が教えられるか否かの証明のおはなし>
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徳が知識であれば教えることができ、徳が知識ではない何かなら 教えることはできない。 ……だろう。
んじゃ、徳が知識かそうでないかを考える。
・ 徳は善きもの(善)である (A)知識とは別個に切り離されてなお「善」であるものがあるならば 善(=徳)は知識の一種ではない。 (B)知識が包括しない善(=徳)がないならば、徳は知識の一種である。
……であろう。
善きものは有益なものである→善き人間は有益な人間である。 ならば、徳(=善)もまた有益である。
(節制、勇気、正義などの)はたらきは、知を伴ってこそ有益なもの となる。
徳は有益であるのだから、徳とは知である。
※知が導くからこそ有益であるというなら、そこから導かれるのは 「徳が有益であるならば、その徳は知に導かれている」っていう ことなんじゃないのかな? ここらへんよくわかんない。 どうして、ここで、故に徳とは知である、が導かれるのか。※
で、始めに戻って、徳とは知であるのだから、教えられるのである。
�◆‘舛話里任△襪蕕靴ぁ�
だが、徳を教える教師が存在するだろうか? → 否。
あれ? 教える教師がいないのならば、徳は教えられないものなのではないか。
教えられないものである以上、徳とは「知」でないのである。
※……って、単に能力が不足していて教えられないだけかもなのに、 徳とは教えられないものだと決め付けちゃっていいのか謎です※
かくて、大混乱。
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正しい行為を導くものは「知」だけではない。 「正しい思わく」もまた正しい行為を導く。
優れた人間=有益=正しい行為を導くもの=善きもの=徳
ふんで、徳は�△侶誅世砲茲蝓崔痢廚任呂覆い錣韻如� だから、徳とは「正しい思わく」でありそれは「神の恵み」によって備わるのである。
※最後のあたりは個人的に、大混乱だ。
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