「隙 間」

2006年10月19日(木) 我が身

 またまた別の某事務所からのお誘いが来た。恐るべし、我が職歴(苦笑)
 そりゃ、都市コンサルを経て設計事務所に勤めて、とくれば都市計画から建築設計までこなせます、てなことになるだろう。
 籍を置いていた会社に対しての外的評価が高いだろう、という自負も少しはあるけれど(苦笑)、自分は何でも屋を矢面にしてやってゆくつもりはない。
 語弊があるかしらん……?
 何でもできるけれど、ただの便利屋に終始してしまいたくはない、とでも言っておこう。
 まちづくり、都市計画、建築設計、そのどれも普通の(?)サラリーマンでは経験できない貴重な素晴らしい仕事に携わってきた。なにより、形として世間に残るものを作ってゆくという、とても誇らしく、そして、とても恐ろしいプレッシャーをはらんでいる仕事。
 これからは、形無きものを作り、目に見えないものを目に見えないところに残してゆくような仕事をしてゆこうと思っている。

 寺山修司も似たようなことを言っていた、ような気がする。
 小説・本というのは最も贅沢なものだ。無くても誰も困らない。本から何かを学べるではないかというやもしれないが、本なんかよりも、実際の生きている人間から学ぶべきものの方がはるかに重要なことである。本と見つめ合うよりも、人と話し合うべきである。

 最近の子どもたちは本を読んでいるのだろうか?

 子どもたちに限らなくてもいい。あなたは本を読んでいますか?

 自分達の世代あたりからいわゆる「マンガ世代」と言われて、文字よりも頭を使わないで済むマンガばかりを読むようになっていった。
 マンガの方が、絵があって頭に入りやすい、といって参考書の類もマンガばかり読んでいた気がする。小説なんて小学校の低学年の頃に、江戸川乱歩シリーズを読んでいたくらいだった。
 うん、むさぼるように読んでいたねえ……それが、ぱったりと読まなくなった。
 本を読んで漢字を覚えた。言葉を覚えた。
 だから本を読むべきだ、と一概に言い切れなくなってきているのが、難しいところだ。

 何故か?

 本には独特の漢字使いがある。いわゆる「当て字」の類。そして、実生活の中で使う漢字がそのまま小説の中で使われてはいないことも、気がつかなければならない。まあ、自分で小説を書くようなことが無い限り気にする必要は無いけれど。

 そして、今の感性の違いが大きくそこにあることを忘れてはいけない。

 今はいわゆるマニュアル本を始め、実際の現実と架空の方程式の世界との境界を侵害しかねない本が氾濫している。
 たしかにそういった類の本は参考までに有効ではある。
 だが……。
 それが真理ではない、ということを理解できないでいる人間が多くなっているような気がする。
 特に、頭でっかちの子どもたち。
 大人ぶって本で読んだ知識をひけらかして得意になって、大人たちを閉口させている子どもたち。
 なまじ「正しい」と思われる「知識」だから、大人も説得力をもって否定しきれない事態が起こったりしている。
「知識」と「知恵」はイコールではない、ということを理解させるには、あまりにも幼すぎて難しいところでもある。
 いち時期「完全自殺マニュアル」なる本が世間で話題になったことがある。人の命というものは、いともたやすく損なわれてしまうことが、ゲームの攻略法のように掲載されていた。
 一方、マンガやテレビの世界であっさりと人が殺されてしまって、それによって物語に感動や悲しみを印象付けるシーンが垂れ流されていたりもする。逆に明らかに「ここまで暴力を振るわれたら確実に命の問題に関わっているはずだ」という中で、それでもしっかりと生き残る場面も強烈に印象付ける演出をしてあったりもする。
 「知識」しか知らない器でそれを鵜呑みにしていたら、現実社会できちんとした物差しで物事を見ることができなくなっている、子どもやそのまま大きくなって大人になってしまった人間が、あちこちにいたりする。

 本を読むことは見識を広める「きっかけ」にはなる。「知識」を得る方法のひとつでもある。
 だが、「知恵」は決して本の中では手にすることはできない。実際に自分で見て聞いて話して、そして感じたことを考えて話し合って、ようやく「知恵」とすることができるかできないか、というものだ。
 ……と、思う。

 なにやら偉そうなことをつらつらと書き連ねているが、我が身を振り返ると、たいへん耳が痛いような気もする(苦笑)
 押しつけではないし、言うのはタダだから、ということで開き直ってしまおうと思う今日この頃……。


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