阿部公房著「箱男」 を読んだ。 前述の、京極作品がヒントと言うのは、正直「箱」という言葉のみ。タイトル買いだね(苦笑) ホラーでもミステリでもない。段ボール箱に身を潜めて街で生活する。ただ一方的に「見る」側の存在に身を置き、「見られる」側はその存在すら生理的に否定してしまうので、完全に社会とは切り離された存在となる。 だけどやがて、「見る」「見られる」という関係が互いを干渉しあい、立場を入れ替えてゆくことになっていったりする。 「見る」という快感。 「見られる」という快感。 そして、 「虚構」と「現実」の錯綜。 一度くらい誰もが試したこと感じたことがあると思う。 例えば、バケツを頭からかぶってみたり、帽子で顔の前を覆ってみたり、そんなときの隙間から覗き見えるいつも通りのはずの風景が、いつもとは違って見えて、少なからず胸が高鳴った感覚を味わってしまったことが。 官能的なイメージは、この作品に期待してはならない。 むしろ、確信的に社会と個人の結びつきに対する不確かさを説いている、と思うべき作品だ。 「見る」ものがいれば「見られる」ものもいる。 両者の視点は、常に必要なものとして身につけておかねばならない……。
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