| 2007年09月17日(月) |
「さつき断景」とあちら側とこちら側 |
重松清著「さつき断景」
1995年から2000年の五月一日を過ごす主人公たちの物語。 現実に起きた当時の事件や世相を重ねて物語られている。 サリン事件に、たまたま一本早く乗ったおかげで巻き込まれずにすんだサラリーマン。阪神淡路大震災の復旧ボランティアに、今の自分を変えるきっかけにしようと思い参加した男子高校生。定年を目前にして娘を嫁に出そうとしている父親。 一年ずつ時が経つなか、事件のPTSDから回復しつつあったり、やっぱり変わりきれない自分と目指すものを見つけ歩んでいる恋人を比べて悩んだり、定年後はふたりで温泉に行こうと約束していた奥さんがガンで急逝してしまったり、それぞれの「そのとき」を切り取って描いてゆく。
「こちら側」と「あちら側」という世界で考えると、その境界線は、限りなくすぐ隣にあるものだと気づかされる。
昨年の夏、今でも私が毎日のように歩いている不忍池でホームレスが殺されていた。犯人は捕まっていない。当日たまたま一本向こうの通りを選び、その時間に不忍池を回っていたら。
結果、今は「こちら側」にいられる。
何度も高速道路で意識が飛びかけて、それでもまだ、「こちら側」に踏みとどまっているのだから、可能な限り「あちら側」へ近づくようなことは避けるべきだろう。
気づかないだけで、境界線は常に一歩のところに引かれているのかもしれない。
「こちら側」と「あちら側」が結果的にどちらが正しい、という判断はできない。
が、
人生すべてを振り返った最期のとき、「あちら側」も「こちら側」もなく、ただ「己の」人生だと思いたい。
それか、
振り返ることなどないように、たとえば、目が覚めたらとんかつ食いてえなあ、とか思いたい……。
「そう言ったんだから」と近所の蕎麦屋に出前を頼んで、なぜだか「カツ丼」を用意するようなことを想像してしまう。 「とんかつ定食がないそうだから、しょうがないだろう」 とかいいながら(笑)
この場合のベターな回答は、
「じゃあ、とりつね自然洞の親子丼(特上)を食いに行く、ってえのじゃあだめかい?」
です。
「グッド・ジョブ」
きっと、親指を立てて答えるでしょう(笑)
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