| 2007年09月24日(月) |
「セックスボランティア」と「しゃべれども〜」 |
河合香織著「セックスボランティア」
以前ドキュメンタリーで観た 「身障者と性と社会の意識」 を取り上げた、ルポルタージュです。
年始に文庫化されていたのに気づかず、タイトルさえ覚えていなかったので、棚から一冊、無造作に平台に倒れていたのを見つけたのは、まさにこれ「天命」とでもいうべきものだろうか……。
身障者にだって性欲はある。 性の話はタブーである。 介助者は口にしないが当然、ない問題ではないわけではない。
知識も与えられず、機能だけは成人として機能する。 指はおろか腕も体も動かず、処理ができない。 妻(夫)、恋人をもつことを自ら否定してきた。 夫婦(恋人)となり、どう関係してゆく(いる)のか。
身障者専門の風俗店を経営し、そこに勤めるひと、求めるひと。 個人的に応える(性交までもあれば、自慰の介助のみ)ひと。
皆、同じ「人間」であり、「ひと」である。
気持ちがあっても、伝える術がわからない。
たとえば子どものように。
泣く、叫ぶ、癇癪をおこす。
たったひとつしか「術」を与えられなければ、それしか知らずに、成長してしまう。
「触れてはいけない」
など……。 基礎知識を教えても、応用や過程は教えない。
伝える。応える。手を握る。触れる。キスをする。思いやる……。
三十分のドキュメンタリーでは見えなかった細部(自身の想像力の足りなさ故)や背景、そしてそれぞれの物語を見ること……そう、まだただ「見る」程度のことだけれど、できた。
ナニをナニしてナニするとナニになる、なんて簡単なことじゃあ、ない。
簡単じゃないことは、難しいことじゃあ、ない。 だけど、難しい。
「わかる」ことはできないだろうけれど、「知る」ことは、できる、だろう。
知ったから理解しろ、何をしろ、とはいえない。 だけれども……
目を伏せずに、いたい。
そして、
映画「しゃべれども しゃべれども」
をギンレイにて。
佐藤多佳子原作の作品。 原作を読んである手前、どうしても歯がゆさが残る。 国分太一演じる三つ葉と香里奈演じる十河五月の、互いのぶきっちょなやりとりが、もそっと欲しかった(笑)
よし、来年のほおずき市は誰かと行くぞ、と決意したくなるような。
さて……。
視点がどーの、文体がどーの、なんて、しのごのぬかしてぐだぐだしてるやつぁ、どこのどいつだぁい?
あたしだよっ……。
いったいいつから、小難しいことを並べ立てて、さもそれが本当なら自分にはできることなんだ、てな勘違いのスットコドッコイになっちまったんだい。
書け書け書け。 ただそれすらもできない野郎には、あたしゃ用はないよっ。
マスかいてるヒマがあったら、マスを埋めなよっ。
て、オチはシモネタかよぉっ!
……と、なぜかにしおかすみこ風で自分の尻を叩く、いやその実際にというわけではなく、鞭を、いや、あの、そういう意味じゃなくて、カツを入れる今日このごろでした……汗
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