| 2007年09月28日(金) |
「妊娠カレンダー」と立つ |
小川洋子著「妊娠カレンダー」
芥川賞受賞作品。 妊婦である姉に、本人が欲しがるから、と農薬でたっぷりと消毒されたグレープフルーツと意識しながらも皮ごと煮詰めてジャムを作る。 なにひとつ、間違ったことをしているわけでは、ない。 むしろ、求めに応えているのだから、献身的とも思える。 知っているか、いないか、の些末な違いだけだ。
現実とは、ほぼ、同じような世界。
目の前、限られた知識、社会、と、その背後、知らぬ知識、社会ではなく世界、にシフトすると、たちどころに個人単位のものごとはたちゆかなくなる。
世界に平和を、と唱えるものが一切悪意や憤りを感じずにいられるか、ということ。
「お前さぁ、とことん性善説なやつだよねぇ。ダメだったら、てこととか、仕事に関しては考えて手配しておくようにな」
Kさんにかつて言われた。
違いますよ。 とことん善のようで、そして逆に悪でもある、んですよ。
だから、小川作品がさらりとくるのかもしれない。
いい、も、悪い、も、語らない。 だから、それはある意味で、「酷」である。 「酷」だからこそ、わかりやすいものにからめとられてしまう。
わかりやすいものは、全体のほんの一部にしか過ぎず、そして全てを内包するものの真実の「ひとつ」である。
真実はまた、さまざま存在する。
こちら立てればあちらが立たず。
それは対象同士の視点に立つから当たり前。 全ては、立ってしまうのである。
選べ。 そして選ぶな。 立つ場所、を。 立てるもの、を。
|