| 2008年06月08日(日) |
「やわらかい手」とまち談義と秋葉原事件考 |
「やわらかい手」
をギンレイにて。 なんとも微妙な作品でした。
孫が難病に罹り、海外での治療しか残されておらず、お金がもうない状態でいったいどうやって、と悲嘆に暮れる両親と祖母であるマギー。 ひょんなことからマギーが見つけた仕事はなんと風俗嬢。体を売るのではなく、男性の自慰を手で助けるという仕事だった。最初は戸惑うマギーだが、やがて彼女の天性のものである手の柔らかさが評判を呼び、ナンバーワンの座になる。孫の治療費である6000ポンドを稼ぎだし、息子にわけは聞かずに使ってくれと手渡し、渡航の用意を始めるのだが……。 大金である治療費をマギーがどこから手に入れたのかを疑問に思った息子はこっそり後をつけ、マギーが風俗店で稼いだものと知るやいなや、軽蔑し「金は自分がすべて返す。だから店を今すぐ辞めろ、辞めるまで孫には一切会わせない」と詰め寄り、店に電話をかけさせるのだが……。
日本式だ、と風俗店の店長がマギーの職場を見せたのが、壁に穴がひとつ空いているだけの部屋。その穴から男性の息子がこんにちはをし、どうぞよろしくとマギーが握手をするわけですが、その滑稽さに場内の皆さん(男女共に)笑ってしまいました。
しかし、そんなことだけではありません。
祖母であるマギーがこれほどまでして治療費を稼ごうとしているのに、養親はいったい何をしたのか。 何もしてません。 ただ、銀行の融資課に融資のお願いをし、断られただけ。 父親である息子は妻が呆れるほどのマザコン具合で、そのせいで母親がマギーを最初から邪魔者のような接し方をしていたりします。
だけど、この母親とマギーのふたりのせいで、少しだけ女性というものに対して嫉妬のようなものを感じさせられてしまいました。
「親は子どものために命さえ捨てる。その意味を私は教えられたわ」
意地を張ってあてもないのに治療費を突き返そうとやきになっている父親に対して、これまでマギーに対して距離を置いていた母親がそういうのです。 渡航に付き合うつもりがなかったマギーに、母親が治療費をありがたく受け取ることと、深く感謝していること、自分がマギーのことをずっと誤解していたことを伝えに家を訪れます。 そして、マギーの分の飛行機のチケットを手渡すのです。 だからといって、すべて打ち解けあったわけではありません、きっと。
ただ、男というものは結局どこかいつまでも子どもなところがあり、女性にはかなわないのだ、ということです。
女性だってそんなにすごいことばかりではない、ということもあるとは思いますが……。
ただ、この作品。 ラストの結末の見せ方が不満の残るものでした……。 それが残念です。
ここまでは前日のお話でした。
そして今日は……。
急遽、とある中学の同級生(女子)と会うことに……。 地元の友人たちのひとりで、彼女とは皆が年単位ですっかりご無沙汰という、会うことはとても困難な存在(笑)
雨でも降るんじゃないかしらん?
と、思わず空を見上げてしまいました(笑) 待ち合わせを……。
北千住
でしました。 忙しくて、なかなか外に出かけられない彼女にとっては最大限の譲歩、でしょう。
北千住は我が家の菩提寺があり、知らぬ街ではありません。 商店街をぶらりと歩きながら時間をつぶしていると、和服屋になぜか目が止まり、ふらりと店内へ。 店先の、谷中でお馴染みの「いせ辰」の品物が目に入ったので、というのが、強いての理由かもしれません。
そして着物姿の旦那と、しばし雑談……。 はじめは、この年齢にしてお恥ずかしながら袱紗をわたしは持っておらず、店に入ったはいいがさてどうしよう、と思った矢先に「袱紗はどちらにありますか」と口をついて出ていたのです。 それをきっかけにして、いせ辰のこと、谷中に住んでること、藍染のこと、と話が広がり、そして……。
まちづくり
のことで、品物そっちのけで話し込んでしまいました。
ある意味「職業病」なのでしょうか(汗) 北千住といえば、宿場町からの下町です。 谷中は、寺町からの下町。ただし、良くも悪くも「ブランド」としての色合いやこだわりや、外部を意識した特殊な性格を持ち合わせていると、わたしの個人的な意見ですが、そんな一面があります。
私「ブランドとしての谷中を守ろうと、肩肘突っ張らなきゃならないとこもあると思うんです。専門家を外部から呼んで、コンサルタントについてもらったり、自分たちの生活だけのことじゃないことまで、ある意味取り入れて、古きを守らなければならない、というか、神経質にならざるをえない、とか」 旦那「そうですね。でも、新旧うまくバランスをとって、共生できてるのではないでしょうかねぇ。ここ(北千住)は宿場町だったから、というのはあれかもしれませんが、よそ者に対して排他的な地域性もあったりしますよ」
案外「地域性」というボーダーを忘れがちだが、なかなかどうして侮れないものなのです。 知らずに専門家ぶって足を踏み入れると、
「てめえんちに土足で上がり込むんじゃねえっ」
とどやされてしまいます。
さてそうしてたっぷりと時間を過ごし店を出ると、
「松戸まで出てきてくれませんでしょうか……?汗」
との、待ち合わせ相手の彼女からのごめんなさいメールが(笑) 彼女を待ってたら年が明けてもまだ来ない、というのは、地元メンバー全員が納得のこと(笑)
松戸まで行きました。 お詫びのしるしにおごります、いえ、おごらさせていただきます、との彼女の言葉に応と答え、久しぶりのコーヒーとケーキを頼みました。
ケーキって、そう、こんな味なんだよなぁ、と感慨に舌が打ち震え(?)ました……笑
彼女は相変わらずのいっぱいいっぱいな日々らしく、なんやかんやと互いの近況だとか愚痴だとかぼやきだとかをぶちまけあい、結果、おかげさまで思わずポンと手を叩くことができる話をすることができました。
まず、何があるのか。 そして、それはどんな意味があるのか。 その先に、何があるのか。 そのためには、どうするのがよいのか。
自分がゆこうとする道と、その道を辿ろうとするときに何が必要で、何にどれだけの重きを置く必要があるのか。 自分のゆこうとする「道」と、そこに自らが立てる必要があるだろう「道標」を「知る」ことの必要性。
そして……。
秋葉原で起きた無差別殺傷事件。
今だから言えることがあります。 あの被害者の中に、確実にわたしが含まれていた可能性があるのです。
わたしにとっての毎週末のこと。 不忍通りから中央通りをまっすぐ抜け、神田川を渡ったところで神保町方面へ向かう、というルートを使います。 そうなると、事件が起きた秋葉原の歩行者天国を、そのまま通り抜けるということになるのです。
といっても、最近では歩行者天国の人ごみを避けるために、もう一本お茶の水側の通り(湯島天神や神田明神の入口側)を通ることの方が多いのですが……。
もしも、の話です。
昨日のうちに神田明神に寄っていなかったら、おそらく、歩行者天国に通じる道を選んでいたでしょう。 そして朝昼兼用の食事を取るため、事件が起きた時間帯に、まさにあの場所を目当ての店を目指してスタスタと歩いていたことでしょう。
もしも、突然の中学の同級生だった彼女からの誘いの連絡がなかったら、事件の起きた時間帯に、家で「ウチくる」をぼんやりと観ていたりしてませんでした。
ニュース速報のテロップが画面の上に流れた後、姉から「まさか巻き込まれてないよね?」とのメールがすぐに送られてきました。 わたしの行動範囲やパターンを知っているからこその心配、だったのでしょう。 軽く「まだ家にいるから大丈夫」と返事をしてさらりと流しておきましたが、「ここでだけ」だからこそ言えます。
大袈裟かもしれませんが。 本当に、
彼女からの誘いがなかったら、ほぼ確実に、あの時間、あの現場、もしくはあの現場付近にわたしがいて、目撃者か被害者になっていたかもしれないのです。
よりによってのあのタイミングでの突然の誘い。 そして、事件現場とは逆方面の街での待ち合わせ。
夕方の待ち合わせだったとしたら、わたしは昼飯を済ませにあの時間帯に現場を通りがかっていたでしょう。 わたしの悪運が強いだけなのかもしれません。 後顧の憂いなく思うことを思うようにできるように、知ってか知らずにか、周りや関わりあるひとたちによって守ってもらえているのかもしれません。
明日は、当たり前のようにくるのではない。 当たり前のように思える明日を迎えるために、見えるところ、見えないところ、見えるもの、見えないもの……。 それらによって、しかるべくそのように思えるように、明日を迎えさせてもらっているのかもしれない。 そのための今日を、送っているのかもしれない。
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