我にそれほどの知識常識整理処理能力があるとは思えねど、こうして話し聞いてみすると、大概の的は外れてはおらぬと思ふことがあるのです。 選ばんとすものが多岐に渡らんと見えど、その実は数少なであることに気が付くものです。
自分の口ではなく、他人の口からそれを聞き出すことによって、それを確かなるものへと形を変へてゆかせるのです。
ああ、やはりさうであったか。
とひとり胸の内にて頷くことが、万事に、とりわけ他人の心模様に及ぶことが出来るのであれば、それはなんと素晴らしひことであろうか。
皆が皆そのやうであったならば、さぞ住みやすひ世界となるのかもしれなひ。 いや、それは間違いだらふ。 そんなものが良い世界であり続けられるはずが無い。 全ては繰り返しの業の中にあるものなのだから……。
なぜに文語調(しかもエセ)かはわかりませんが、迷い、舞い踊っているように思えているのは、実のところ、大概は自分自身によるものによってそう思えているだけにしか過ぎないことが多いのです。
全ては絶対なる一に帰する
一だけじゃ寂しいから、二にも三にもしたっていいじゃない。
そうやっているようなものです(汗) 一の一たらんとするわたしが、いったいどんなわたしなのか。
ひたすら子鼠のように、カラカラと輪を駆け回すだけです……笑
|