「隙 間」

2008年06月28日(土) 「きみの友だち」

 さあ、今日はジューン・ブライドの最後の大安吉日。

 神田明神では、一組の夫婦がはじめの一歩を、踏み出していました。

 はぁ、じぃ、めぇ、のぉ〜……
 いぃ〜……っぽ!

 だるまさんが何回転ぼうが、
 坊さんが臭い屁をここうが、

 始まりは、始まりです。
 握った手を離さず、ときに離してしまったとしても傍らから離れず、今の思いを大切にし続けてください。

 重松清著「きみの友だち」

 ちょっとだけ。
 のつもりが止められず、最後まで読み切ってしまいました。
 連作短編の形をとったひとつのお話です。
 各話全てで、泣きました(笑)
 大の大人の男がひとりで、まったくもう、みっともなく……。

 ヒロインとその弟とそれぞれの「友だち」の、それぞれの物語。
 まだ本当の「友だち」というものが実感としてわかっていないまま「友だち」として互いに関わり合っていた頃。
 人生をそれぞれ歩み、過ごし、だからこそ、本当に「友だち」だったとわかる今、ヒロインがその「友だち」のそれぞれの話を打ち明ける。
 そしてそれらの話を語るのは、ヒロインの夫となるしがないフリーライター。

 物語の最後は、ふたりの結婚式を舞台として締めくくられる。

 いや、くくられるのではない。

 ヒロインの「友だち」として招かれた彼らだけではなく、これからも出会ってゆくだろう、もしくは既に出会っているかもしれない「友だち」も含めて、物語は続いてゆくのだろう。

 同じクラスだから「友だち」なのではない。
 好かれたい、嫌われたくないから「友だち」なのではない。
 優しくしたい、されたいから「友だち」なのではない。

 だけれども、結局それらの全ては間違いなのでもなく、「友だち」は「友だち」なのである。

 この年齢にもなってくると、「友だち」ということばの使い方が、ある意味難しくなってくる。

 同期、同僚、知人、仲間……。

 表現の幅が姑息にも増えてしまっている。
 そんなことを考えてるうちは、ほんまの「友だち」ちうもんをわかっとらん証拠じゃけえ。

 そう諭されそうです(笑)


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