「隙 間」

2011年03月12日(土) 大地震の夜が明けて

朝、いつも通りに目が覚める。

テレビは原発関連のニュースで全て塞がっていた。

ついつい見入ってしまう。

電力依存生活をしつつも、原子力には不快さを抱えているという矛盾するわたしである。

街は、普通の日常を取り戻しているように見える。

しかし。

テレビ画面と、鉄道の運休、運転見合わせの知らせだけは、非常時を突き付けてくる。

気付くと昼を大きく過ぎていた。

洗濯をしておかなければ。

思い出して、洗濯機を回しはじめる。
着替えも何も、一日分しか、ない。

買い物もしておかなければ、とそこで、寺子屋からメールが来ていた。

「赤札堂。カップ麺、パン、水、売り切れてる」

しまった。
水やカップ麺は昨夜から予想はしていたが、そうかパンまでもか。

おそらく、いや確実に、食材や生活消耗品のすべてが、高騰するだろう。

我が身を、我が家族を、我が子らを優先するために買い占めようとする気持ちは、当然であり、仕方のないことである。

勿論、流通の上流で、配送すべき優先順位は確保されているだろうが、それだけでは足りないことは、火を見るより明らかである。

買い占め、やがて余分だと気付いたとき。

できれば早いうちに被災地支援に預けるなり、無駄にならないようにしたい。

わたしが寝ている間にも、何度も大きな余震が襲っていたらしい、と知った。

わたしは一度も、起きなかった。

どうやら。
わたしは寝たまま寝たきりになる心配があるようだ。
それはそれで幸せなことなのかもしれない。
しかし、それでも寝覚めはよろしくはない。

土日は休薬だと決めていても、今はそんなことをいっていられない。

万が一の準備よりも、今日明日、一週間分の買い物を。

しかし、目ぼしい主食材は、ほとんど売り切れである。

「パンがなければ、お菓子を食べればいいじゃない」

一般的に、世間で誤解を生んでいるこの王妃の迷台詞。

彼女が指している「お菓子」とは、甘く豪勢なスイーツの類いではない。

彼女の祖国で食べ親しまれていたパンケーキのようなもので、当時小麦やらの純粋な穀物粉が手に入らないなら、他に手に入りやすい別の穀物粉を混ぜて焼いたそれならば、少しでも庶民に手が出せる。

それが、後々の彼女を印象を痛烈に面白可笑しく伝えるために意訳され、伝えられてしまったらしい。

それに倣おう。

代わりになるものならば、パンでなくともよい。

小麦粉なら百円ショップでも、十分きちんとしたものが手に入る。

お好み焼きなり、チヂミなり、とりあえず焼けば生地になる。

水だって、貯めといた水道水を煮沸するなりすればいい。

カセットコンロは、ある。

大人ひとり。

ホームレスの方たちは、今でもなお、生きて暮らしている。

わたしはあれば、あるものがあることに依存しきってしまう。

ペットボトルに水が八本あれば、八本ともどうにか持って行こう、とするだろう。

靴を履くことも忘れて。

街を歩く分には、至って平常である。

しかし。

予断は許されないはずの状況である。

断層がどうの、というのが今回の地震の原因ならば。

長野といい。
茨城沖といい。

富士山を抜けて房総半島の先まで、要因となりうるものがある。

以前、フジテレビの深夜アニメ枠「ノイタミナ」で放送した「東京マグニチュード〜」を、思い出す。

あの物語は、切なかった。

やられた。

小さな姉弟が、たしか有明から世田谷かどこかの自宅まで、帰る。

その道中が、目が離せない。

レインボーブリッジか何かが、崩落する。
波に救助艇が転覆する。

東京タワーが、倒壊する。
芝公園に避難した人らを巻き込む。

そんな、余震による追い打ちや。

避難所である学校の花壇の花に水をやり続ける老人。
恐怖や不安が少しでも和らげば、と。

とにかく、切ない。
そしてそれが、アニメによる作りものではない、現実に起こったことと、今は思える。

まだ、東京が壊滅的被害を受けるような地震は来ていない。

しかし、近いうちにくる可能性はもはや否めない。

生も死も紙一重である。

その紙一枚の表裏は、誰にも、等しく選べない。

生きる本能に、愛に、力に、かけよう。


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