真藤順丈著「地図男」
第三回ダヴィンチ文学賞作品である。
助監督をしている「俺」が、ロケハンで街を巡っていたときに出くわした不思議な男。
いつも地図帳を抱え、そこには余白もなく、付箋だらけで、それらにはびっしりと細かい文字で何かが書き込まれている。
そのそれぞれは、地名や場所にまつわる物語の断片だった。
物語が場所を移れば、その場所の地図の余白、付箋、レシートの裏、あらゆるメモに書き繋がれている。
はじめは、条件をあげればそれにピッタリの場所をそらですらすらと教えてくれる便利な男、と思っていたのが。
地図男の書き込んでいる物語こそが、気になってゆく。
誰に見せるためでもない。
しかし。
誰かに読み聞かせるように、それらは書き込まれている。
東京二十三区の区章を奪い合う、アンダーグラウンドの熱い地元愛に燃える区民達。
天才的な音楽の才能を発揮し、地名に含まれた数字をもとに作曲してゆく家出した三歳の男の子。
破壊することでしか自分の存在を感じることが無かった少年と、じっとしていることは死んでいるのと同じことと、常に動いていなければ気が済まない少女が出会った西東京。
この二人の地図物語が、やがて、泣かされてしまう。
大した演出がなされているわけではない。
芸術的な文章で描かれているわけでもない。
一文一文にかっこよさとか関係ない「力」が込められているようである。
地図男がその地図の余白に、地名の上に、無心で物語を語り書きするのと同じように。
地図男は、何のために、誰のために、物語を描いているのか。
地図帳を持って、街に出よう。
街には、誰に語るでもなく物語が、あふれている。
さて日曜。
正直、果てていた。
いったい何をしたらよいのか。
うすらぼんやりした頭では、何も働かない。
ああ。 三省堂に、行ってない。
そうだ。 行ってないじゃないか。
行こう。
こんな事態だというのに、きちっと開いていた。
きっと書籍の類いは、すべて棚から暴れ落ちただろうに、それを微塵とも感じさせない。
目ぼしいものは特になかったが、それでもどこか、日常に帰ってきたような心地になる。
三省堂を裏から出て、細い路地をゆくと、途中にある「喫茶ラドリオ」がある。
しかし。
入口脇の外壁レンガがボロッと剥がれ落ちていた。
名友も来たことがある店だ。
店内は大丈夫そうだったが、他にも、
「落下するかもしれません! 下に近づかないで!」
と張り紙に、立ち入り禁止ロープを張ってあったところもあった。
神保町も、なかなか古い街である。
歴史的景観建物に指定された古本屋なども、ある。 しかし、そこにある建物やひとや街は、入れ代わりたち替わりしてるにせよ。
江戸の時代から、地図にその名を残してきたのである。
地図男になろう。
街の端々に、語り書こう。
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