「隙 間」

2011年03月20日(日) 「ソフィアの夜明け」と月にカケル願い

「ソフィアの夜明け」

をギンレイにて。
ブルガリアの首都ソフィアの、そこで今、生きている若者たちの現実と苦悩、絶望と希望を描いた作品である。

主演のフリスト・フリストフ自信の人生を描いたといってもよい、らしい。

ドラッグ中毒の治療をしながら木工所で働くフリストは、木工アーティストとして才能があった。
しかし、なかなかその機会に出会わず、ドラッグのかわりに酒浸りの日々を過ごす。

弟がネオナチの集団に引き込まれ、観光で訪れていたトルコ人家族をトルコ人排斥活動で襲い掛かった現場に居合わせてしまう。

襲われたトルコ人家族の娘とフリストは淡い心を通わせはじめるが、

「この国のやつらと関わるな」

と、トルコに早々に帰国させられてしまう。

命の恩人であったはずのフリストでさえ、「やつら」に含まれてしまう。

別れの言葉も交わせぬまま、ふたりは引き裂かれてしまう。

報われない国、社会、現実は絶望ばかり。

政治家がネオナチ集団のスポンサーをし、なんのチャンスも、ない。

そんな絶望ばかりの現実に、フリストは、明けはじめた朝の街を、歩く。

明けない夜はない。

とのメッセージを込めて。

フリスト・フリストフは、不慮の事故で撮影中に亡くなった。

東京での国際映画祭で本作品が図抜けて高評価をえたそのとき、彼はいなかったのである。

これは、「RENT」のジョナサン・ラーソンとも同じである。

フリスト・フリストフに捧ぐ。

作品に添えられたメッセージである。

彼の人生を、実際の街、場所、恋人らと再現した作品であり、この作品がある限り、彼の人生もまた繰り返し観られるのである。

さて相変わらず赤札堂では牛乳やパンの棚ががらんどうである。
その他の野菜やらは、通常通りに流通しているのか、きちんと揃っているのである。

これは、血が牛乳で肉体がパンで出来た人間でない限り、大した問題ではない。

わたしには京から心強い救援物資も送っていただいてあるのである。

まだ大きな余震が北関東で起きたりしているが、おそらく収束してゆくだろう。

最後にドン、と花火を打ち上げようとしない限り。
周辺のプレートがあれだけ解放しているのに、集結部が何もないのが、少々気にはなる。

どうせくるならば、まだ皆がした準備と気持ちが切れない今のうちが、ありがたい。

いややはり不謹慎なことは言わないでおこう。

それにしても、月が見事だ。
最も地球に近づく日らしい。

これなら、エルシーなしに飛び越えられそうな気になる。

Jump over the moon!

ダイエット・コークしか飲むことを許されないサイバーランドなんか、御免蒙りたい。

I'm Mr.no-sleeve!

真冬の夜に、コートと暖をとれる屋根の下を与えてくれるAngelはどこに。

孟宗竹ならぬ妄想竹は、根を張り大地にしっかと立たなければ。


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