2011年04月01日(金) |
四月一日(ワタヌキ)の馬鹿 |
この度の東日本大震災にて地殻変動による日本の陸地の大移動があったことは、ニュースでも流れていたし、皆さんご存知のことでしょう。
なんでも四メートルも東に陸地が移動し(広がっ)たとか。
設計なんて仕事に関わってると、敷地面積だの敷地境界線だのが、とても大事になるんです。
その敷地にどれだけの面積の建物がたてられるか、とか。 境界線から何メートルまでは建てられる高さが決まっていて、よく言うセットバックなんていう、外形ややっぱり面積や間取りやに関わってくるんです。
これは冗談として、都内の真ん中の土地に計画中の建物で、
「おい、境界線が伸びたり移動したりしてたら大変だぞ。測量会社に連絡しとけ」
なんてことを言ったりするのを耳にします。
ギリギリのとこで、設計は常に考えているのです。
何十年もかけて歪んだ地面が、えいやっ、と元に戻った(?)ために、こんな大惨事を引き起こしたんですね。
ワタヌキも骨抜き、です。
地殻変動が、身近にも起きていました。
四メートルも動いたなんて、とわからないのと同じです。
何、どうゆうこと?
な感じで、理解の範囲を軽く超えてしまうと、ああそうなんだ、と受け入れてしまうものかもしれません。
段々膨らんで今にも割れそうな風船を、はい、と渡されたら、まずは受け取らずにいるのが不自然な、受け取って目の前でパンパンになっている風船を見て、ようやく、ヤバイヤバイ、と慌てふためく心境です。
破裂して、真っ白な粉を浴びてしまうのか、それとも紙吹雪きが舞うのか。
不意に差し出された手を、ひとはつい条件反射で握ってしまうものです。 それが、馴染みを覚えている手ならば、なお。
他にも、ちっちゃな手が勢いでわたしの手をギュッとしたときに、払うなんてことを思いもしないで、ギュッと返してしまうように。
ちっちゃな手が友人の姫たちなら、それもわたしにはわかります。 うん、王子たちだったとしても、それはわたしの姫たちのライバルとして握り返すことでしょう。
駅で見知らぬ女の子にギュッとされたときは、そのままの手と女の子の顔をまじまじと見つめてしまいました。
「ごめんなさい」
と、女の子のお母さんがすぐに気付いて、勘違いでわたしの手を握ってしまって自分でも驚いていた女の子の手を、ダメでしょ、と自分の手に繋いであげながらわたしに、驚いたでしょう、すみませんでした、とぺこぺこ去っていった過去の出来事くらいです。
上野公園も桜がポツポツと咲き出してます。
いずれ散りゆく花ならば、 だからその花を愛おしく美しく 永遠に愛でたく思う。
散るからまた次の春に 同じ枝に花を咲かせる。 また同じ鳥たちが、 さえずりに帰ってくる。
まだ百年の大木ほどには 根は深くなく屈強でもないが。 その花を鳥を守り 嵐に耐えるくらいの 根を張ろう。
四月一日(ワタヌキ)に馬鹿らしいほど素直に思う。
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