「隙 間」

2011年05月04日(水) 「図書館戦争」

有川浩著「図書館戦争」

待ちに待った作品の文庫化である。

公序良俗を乱す表現を取り締まる「メディア良化法」が成立して三十年が経った2019年。

メディア良化委員会による行き過ぎた図書の検閲から図書を守るべく組織された図書隊。

実戦経験は警察、自衛隊にも負けないほどの危険な、その最前線たる防衛部に笠原郁(いく)が女性として初めて入隊を果たした。

実戦というのは、まさに実弾による戦闘である。

容赦無い「検閲」行為のために、ライフル、マシンガンなどの武力行使をもって図書を回収、処理してゆくメディア良化委員会。

それに対抗し図書を守る図書隊もまた、武力装備をせねば、大切な図書を守れないのである。

初の女子隊員である笠原は、「わたしの王子様を追い掛けてきました」という。

高校時代の街の小さな本屋で、「検閲」に巻き込まれてしまった。
大切な本を取り上げられ、万引きの汚名を押しつけられてでも、それでもその本を守り切れなかった弱い自分の前に、図書隊員の彼が、その本を取り返し守ってくれた。
そして、自分の勇気と本への気持ちを認めてくれた。

わたしも、あの人のようになりたい。

何を隠そうその「王子様」とは、笠原の上官として教育から面倒をみることとなった堂上二等図書正であったが、笠原はまったく気が付かない。

しかし、採用試験に関わった図書隊上層部の者達はそれを皆黙って、知らないフリを決め込む。

厳しい訓練。

「なんでわたしばっかり!
贔屓だ、差別だ、コンチクショー!
チビで性格の悪いクソ教官めー!」
「チビで性格の悪いクソ教官で悪かったな」
「ななななんで、こんなとこに、いらっしゃるんですか? 卑怯だ!」

こんな具合の悪口、罵詈雑言、歯に絹着せぬやりとりが、健やかに爽やかに繰り広げられている実際の関係。

このストイックな図書隊の世界で、ツンデレ満載の物語。

有川浩のもはや語るに落とせぬ代表作である。

昨年あたりから、いや、そのもう少し前から、漫画表現に対しての規制の話がきな臭くなっているのは、世間でも周知の事実である。

少年マンガにおける、登場人物に喫煙の表現を規制する。

このあたりで、わたしは、腹がよじれてしまいそうになるほど、笑ってしまった記憶がある。

これは「煙草」ではなく「パイプ」だから問題はない。

そんな抗議的な挑戦を見かけたとき、これは笑い事ではないかもしれない、と思った。

そして、都条例による表現の規制が、可決された。

出版業界が軒並み、抗議行動に出たのは、どうか、大震災の記憶の向こうから、掘り返して思い出して欲しい。

「図書館戦争」シリーズにおける組織図も、メディア良化委員会は国家行政組織、教育委員会らの流れから組織されている。

「こじきのおじさん」というひと言の登場人物の説明が為に、検閲、回収の対象とされ、何年も読めるようになるのを待っていた少女の夢を、無情に、手荒に、暴力的に取り上げられてしまう社会。

やはり許されるべき問題ではない。

ここまで極端ではないが、現在、その道への扉の鍵が、外されてしまった状態である気がしてならない。

公序良俗を道徳的、倫理的にタガがかかっているに任されているが、それが緩めば、勢いは止められないだろう。

鍵がかかっていないのは、わかっているのだから。

本やマンガを見て読んで悪影響を及ぼす、ということを口にする人間は、己の無能さを声高に認めていることなのである。

そんな教育しかしてこなかった、されてこなかったこと。
影響を及ぼされるほど脆弱だと、子供たちの人権、感性を信用できない器量の狭さ、責任転嫁、そして放棄。

今回の震災映像で度々口にされたこと。

残骸や悲惨な映像のどれにも、遺体が映されることがなかった。

こういったことは、たしかに道徳的に大切なことだと思うところがある。

ドラマや映画で、そのような表現の規制はどうなっているのか。

いたちごっこの様相を呈していたりするのかもしれないが、疑問に思うところが個人的あるのは否めなかったりするのである。

もとい。

原作のこれは、痛快恋愛エンターテイメントである。

アニメ化されており、そちらの方が人物の姿が絶妙に表現されているので、お薦めでもある。


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