「隙 間」

2011年05月20日(金) さぼうるでさぼうる

火曜から木曜まで三日間、わたしはフリーダムだったのである。

共に仕事している古墳氏となぎさ君が、社をあけてしまっていたのである。

「竹さんは、三日間、羽根をのばしててください」

これだけやっててくれたらいいですから、とそこそこの仕事量だけわたしに任せていったのである。

海外の甘木BIM先進利用企業を視察。

わたしだけ社内の所属が違うので財布も違う。
もしかしたら、と言われていたが、やはり「もしか」しなかったので、留守番である。

てやんでい。

ささくれやさぐれ夕暮れに、定時を少し回った頃に、席を立つ。

行く先は決めていた。

神保町。
「さぼうる」でさぼうる。

いや、仕事はちゃんと済ましてあるから、サボりではない。

洒落てみたかっただけである。

「さぼうる」は、少し特別な思い入れが、ある。

「それでも花は咲いていく」繋がりで、わたしも思うところが、ある。

ああ。
「それでも〜」の回の中身について、少々捕捉しておこう。

わたしと会話している「ケン君」とは、決して「マエケン」こと著者の前田健さん御本人のことではない。

ただ名字から思い付いた他人からとって付けた、ここだけの呼び名の別人である。

もとい。

「さぼうる」で、わたしはかつて大変お世話になった。
週の半分のその日の大半を、一時期、過ごさせていただいた。

「書く以外に何ができる」のだろう?
仕事を辞め、朝はきちんと規則正しく起きなければならない。
しかし起きたところで頭は回らない。眠くなるが、下手に寝ては治療にならない。

ならば意地でも外出しよう。

運動不足解消も兼ね、体を動かすことで、目をさまさせる。毎日歩いて神保町へ通い、文庫を買い、読み、そして書こう。

さぼうるの店内は薄暗く、雰囲気がいい。
テーブルもこじんまりと詰まっているので、隣のテーブルでのささやかな会話や、時にはざわめきなどが満ちていて、とにかく落ち着く。

もしもコトンとわたしが抗えずに落ちてしまっても、気付かれにくい。

わたしにとって、大袈裟だが「はじまりの店」とも言える喫茶店なのである。

わたしもある意味マイノリティに属している。

五、六百人に一人、をそう言ってよいのかわからなくなってきているところがある。

周りをみて、例えば仕事中の居眠りを見かけると、それは単なる居眠りなのかそうではないのか、それは判断出来るものではない。

単なる眠気と居眠りだけなんでしょう?

そうなんです、と、えへらと笑って答えてすませるだけでは、なかなかゆかなくなっている。

NHKのとある番組内トピックの言葉が、かれこれ一ヶ月以上、頭から離れずにぶら下がっている。

「普通と同じを目指し続けること」は、正しかったのでしょうか?

普通ではなくても特別な何かを持ち、それを活かしてゆけるような人間は、なかなかいない。

ないことを補うことばかりで明け暮れてしまう辛さはわかる気がする。

本当は特別な何かがあるのかもしれないのに、それに気付けないまま、だったのかもしれないし。

あるようなつもりで、そんなものは自分にはなかったことを後で思いしるのも、怖い。

「何か」に限られた時間やらを注ぎ込む余裕がない日々が続くなかで、さらに現実的に、考えてしまえのである。

一般的な現実と、わたし個人に限られる現実と。

二つのはざまを縫い合わせるようにしてゆくしかないのだろう、ということはわかっている。が。縫い合わせてゆくのもなかなか労力がかかる。

久しぶりに「さぼうる」で、しばし考えてみた。

いや。

目を閉じ耳を塞いでみた。
間を縫ってではなく、がっつりと、書こう。

そのために必要なことを念頭に置きつつ、ひとつひとつをきっちりとかたをつけてゆこう。

こぼれ落ちてゆくものは、無理に背負うことはないのである。
大事なものだけは、抱えて離さないように。


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