「いったい、何があったんですか?」
向き合った田丸さんが、深刻な顔でわたしを覗き込む。
「柳眉」
虞美人、楊貴妃らの美しさから生まれた「愁いある」表情を指す。
雨上がりの濡れた路面に信号が点滅する、大森の夜ーー。
あのう。このひと言だけ書かれていると、ビックリしてしまったんですけど。
イ氏は、どれどれ、とひと目見るなり「だって深刻じゃない」と。
「人生の岐路」
ただ一行だけ、書き付けられていたのである。
はて、わたしにいったい何事があったのか? たしかにすったもんだがありはしたが、それが「人生の岐路」とは思われない。
パッと開いてそんな言葉が目に飛び込んできたら、そりゃあ田丸さんだって真剣に気になる。
その日自分はいたはずなのに、その場に居合わせなかったことへの後悔、慚愧。
先ほどは、今までにみたことがない田丸さんの顔を見てしまった。
ああ、ウツクチイ。
うかつにもそう思ってしまったのである。 そのまるで真珠のような輝きをした眼球に、すべての愁いも哀しみも吸い込み宇宙の彼方にやってくれそうな深みある瞳。
くい、と中央に引寄せられた眉は、まるで優しき翼のよう。
息をのみ、唾をのみ、言葉を飲み込んでしまった。
ただもう、貴女の瞳に全てを奪われる。
「岐路」って、選ぶだけの余裕なんか、ないですから。
選ぶか選ばないかだって岐路なんだから、とイ氏はしゃあしゃあと言う。
このまま選ぶことなく仕事を続けてゆくか。 厳しいけれど楽な道を選ぶか。
暮らしてゆくなら、仕事をしてくしかないですからねぇ。 ただ生きることを一とするなら、いずれはそうではないかもしれないですけど。
イ氏は、うんうん、とうなずく。
「いずれ、が早くくることを祈ってるよ」
今日は珍しく待ち合いに人が多く、いつも通りに最後の順だったわたしが時計を見ると、もう九時前になっていた。
大して他に話していないのが消化不良だったが、仕方がない。 駅へ向かいながら、ぼんやり考える。
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