2011年05月28日(土) |
「愛する人」とdiVAとヤマハのん |
「愛する人」
をギンレイにて。
マズイ。 これはマズイ。
もしも今、何かのボタンがあっっしたら、ボロボロと雨が頬を濡らしてしまいそうである。
何もない歩道の段差につまずくでもいい。 傘がぶつかって、額にきれいに面が入ってもいい。
十四歳で出産、抱くことなくそのまま養子に娘を出されてしまったカレン。
三十七年間、片時も娘のことを思わない日はなく、出す宛てのない娘への手紙を書き続けていた。
一方カレンの母親は、「娘の人生を台無しにしてしまった」と無理矢理養子に出させたことを、ずっと後悔したまま、そのことをカレンには言えないまま、カレンに介護してもらいながら、母娘二人きりで暮らしていた。
母のことをまったく知らないまま育った娘エリザベスは、優秀な弁護士となっていたものの、家族や愛というものとは距離を置いていた。
そんなエリザベスだが、妊娠してしまう。
父親は、弁護士事務所のボスか、アパートの隣室の妻が妊娠中で欲求不満の夫か。
わからない。
エリザベスは、ひとりで産むことを決意する。
突然姿を消された事務所のボスは、「私の子ならば、君らを養う。亡き妻ではなく、君を妻としてすべて受け入れよう」と、手を差しのべるも、エリザベスは「あなたの子じゃない」と拒んでしまう。
ボスの親戚家族は皆黒人系で、彼女は白人だった。 ボスの娘たちは、エリザベスを快くパーティーでもてなしてくれ、あたたかい人らばかりだった。
家族も、愛も、まともに理解できない自分が、居られる場所なんかじゃない。
そう、感じていた。
それでも、私はこの子を産む。
前置胎盤で帝王切開が必要だったが、「産まれる瞬間を、みたいの。だから、眠らせたりしないで」と医師に言う。
母になる。
その時初めて、今まで思いもしなかった、「母親を探す」ことを思い立つ。
出来ることは、養子縁組を取り持った養護院に、手紙を保管しておいてもらうことのみ。
母親のカレンも、ようやく初めて自分を受け入れてくれた新しい夫パコに背中を押してもらい、手紙を預けることに。
三十七年の時を経て、母と娘の思いは伝わるのか。
親子とは、家族とは、血の繋がりとは。
そして愛とは。
養子が比較的珍しくない海外では、様々な問題がある。
社会的問題ではなく、日常的な、些細だからこそ大事な問題のとある場面。
産まれたばかりの赤ん坊を養子にもらった養母は、切に子どもが欲しくて、愛していて、だからとても愛しい存在だった。
しかし慣れない育児に気持ちが折れ、パニックになる。
「全てを当たり前のように、自分中心に支配する。何様のつもりさっ」
赤ん坊にキレた娘に、助けにきた母親が、ピシャリと、言う。
「あなた、あなたが世界初の母親だとでも思ってるの? いい加減にしなさいな」
自分が産んだ子ではない。 しかし、あなたは母親になりたくてなった。 そしてそれは、世界中の母親が当たり前にやってきていること。
自分だけ特別なんじゃない。 愛していないわけじゃない。
パニックになって目の前しか見えなくなる時だってある。 そんな時に、つい見失ってしまった大切なことを気付かせてくれる存在が、いるだろうか。
現代社会は、我が子やまた言うべき相手に、ピシャリと言える関係が少なくなっている。
嫌われたくない。 傷付けたくない。 傷付きたくない。
言ってもしょうがない気がする。 自分で気付くか、他の誰かに気付かされるまで言いたくない。
友だちみたいな親子は、それだけでは親子ではない。
親は友だちではない。 親なのである。
さて。
なかのゼロホールにて催された、
「ゴスペル東京 第十二回チャリティーコンサート」
に行ってきた。 diVA陽朔さんが参加され、ご招待いただいたのである。
「di」が小文字なのは、意味がある。
甘木国民的アイドルグループからデヴューを飾ったユニット名は「i」だけが小文字である。 どうやら、まだまだ成長途上であるとか、小さな「愛」を小文字の「i」にかけ、やがて大きな「愛(I)」になるように、との意味があるらしい、と耳にしたのである。
ならば、「i」ともう一文字を小文字にしてみよう、とわたしが勝手に思っているだけである。
「DivA」だと、「でぃぶ・アンペア」と電気の特殊記号のような気がするし、「DiVa」だと主張が何も目立たない気がする。
であるから「diVA」としてみたのである。
陽朔さんはゴスペルを習いはじめてまだ日が浅いとは言え、積極的にステージに参加されている。
何よりも、ステージ上でとても楽しげに歌っている。
ご本人は緊張でそれどころじゃあないと言うかもしれないが、みてるこちらが勝手にそう見えるのだから、そうなのである。
選曲は様々だったが、わたしの隣席の老夫婦の奥様の方が、どうやらスローテンポの曲よりもアップテンポの曲がお好みらしく、
そうそう、わたしはこうゆう曲が好きなのよ、ねえ?
とご主人の方に共感を求めていたのである。 うむ、とご主人がうなずいたのか返事しなかったのかわからないが、印象的だったのである。
わたしの偏見だが、奥様の方は見るからに楚々として上品さが漂い、教会の厳かな讃美歌こそが似合いそうだったのである。
ゴスペルの言葉ではないが「スイングしなけりゃ」ダメですね、とわたしはひっそり胸の内でうなずいて手拍子を合わせたのである。
とにかく、意表を突くチャーミングな方だったのである。
四十の手習いというのか、わたしも何かを、いや、手を出したい気持ちになってくる。
実家に眠っている母の嫁入り道具だったものが、このままでは誰にも触れられることなく、そのままになってしまう。
とはいえ、習うのはわたしには向いていない。 我流で、でもいい。 音を、忘れさせないためだけでもいい。
ちなみにわたしは音痴化している。 姉は、リズム感がやや個性的なところが幼少の頃あったらしい。
あぁ、草葉の陰でガクリとうなだれている姿が浮かんでくる。
ハノンでも、と思ったが、
「あんなツマンナイもの、ただこの曲が弾きたいってことだけなら練習しなくていいっ」
と一蹴されたのを思い出す。 二十数年前のことである。
原秀則原作「部屋へおいでよ」のあやさんの「はみがきハノン」に影響されたことは、ここだけの話である。
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