「隙 間」

2011年05月30日(月) 聖地とポレポレ鉄板麺

土曜日のチャリティーコンサートの後、聖域に足を踏み入れてみたのである。

サブカルチャーの西の聖地である「中野ブロードウェイ」。

東の聖地「アキバ」の近隣に暮らすわたしからみれば、これはまさに、三蔵法師が天竺へ赴く、ようなものである。

いやなんとおこがましい。

わたしは玄奘ではなく、彼にひっついて共にオロオロする沙悟浄である。

いやいや食いしん坊だけが取り柄の猪悟能(八戒)かもしれない。

一行は、結局「ここは自分に相応しくない」と、神界の禄に預かることなくむしろ突っぱねて出てきてしまうのだが。

わたしも長居は出来なかったのである。
じっくり探したいもの、見たいものが、そもそもないのである。
それがあれば、間違いなく、ドップリとハマれただろう。

とても残念だった。

いつか降って湧け、我がマニアごころよ。

「心地よきカオス」と美しき貪欲アイドルが評したことがあったが、まさにカオス、ヨロス、タマラナス。

とうなずける。

二階にある飲食店の数々が、わたしにとっての「心地よきカオス」感が、プンプン鼻腔を口腔をコケコッコー刺激してくれた。

やんぬるかな。

時間が中途半端だったため支度中だったりし、暖簾の隙間からのぞき込み、貼り紙にマジック書きのメニューをねめ回し、きりきりと胃袋が訴えるのを耐えるのみ。

まるで苦行であった。

「何をためらってウジウジと入らないんだ」

と思われるかもしれないが、わたしには目当てがあったのである。

ここ中野ではなく、東中野に。

「大盛軒」なる店がある。
「おおもりけん」ではなく、今は「たいせいけん」という。

なんと魅惑的な名だろう。
そこに「鉄板麺」というものがある。

熱々の鉄板深皿に、豚肉とキャベツなどの刻み野菜たっぷり、卵を割り入れニンニクチップとジュウジュウいわせながら混ぜる混ぜる混ぜる。

それに椀に盛られた白ご飯がつき、さらに、シンプルな中華そばがついてくるのである。

これが、ガツン、と幸せを噛み締める助けをするのである。

満足な猪悟能は、食後にまどろみうたた寝気分に浸るのを気を付けなければならない。

カチカチ頭の兄貴にどやされる前に、スタコラサッサと、くちくなった腹を抱えて店を出る。

ここ東中野は、お多福さんが住まわれている街であった。

本社でお多福さんに、早速「鉄板麺、制させてもらいました」と報告したのである。

「なぬっ」

キッと顔を向け、「いつの間に来やがった。あんたは立ち入り禁止だと言ったろうっ」と、くわっ、とにらまれたのである。

東中野は「ポレポレ東中野」へ映画を観に足を踏み入れたりする街ではあるが、お多福さんの安らかで健やかなる私生活を保つため、関係者は立ち入り禁止と決めているらしいのである。

なんと理不尽な。

しかし、なんのちょこざいな、とわたしは臆面もなく訪れるつもりである。

いつ頃いたの?
夕方前でがす。
いたよ、その頃、東中野に。
うへえ。でもサッときて、パッと出ましたでがす。

大盛軒があるのとは逆側が、まさにお多福さんの奥殿らしい。

「よかったぁ、逆で」

全身で安堵の息をつくお多福さんに、わたしは苦笑いする。

「どんだけ避けられてんねや」
「あっはっはっ」

お多福さんは手を叩きひとしきり笑うと、去り際につと振り向いた。

「てか、呼べって」

えっ?
あのう。
呼ぶも何も。
番号もアドレスも、連絡先をなんも知らんのですが。

「あ〜、残念っ」

じゃ、と手を挙げ颯爽と去ってゆく。

聖域のさらになお立入禁止のところが断固として存在し続けることを知ったのである。

東中野はわたしにとって、「鉄板麺とポレポレの街」なのである。


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