小川糸著「蝶々喃々」
「男女が仲睦まじく小声で語らう様」といった意味の言葉、らしい。
この作品を読めば、きっともう、虜になってしまう。
谷中にアンティーク着物の店「ひめまつ屋」をやっている栞は、お茶会に初めて参加するための着物を探しにきた春一郎と出会ってしまう。
春一郎は妻子を持つ身とわかっていながら、ふたりは逢瀬を重ねて行く。 谷中、根津、湯島、日暮里、浅草、千束(旧吉原)などの街の祭事、名所、実在の店などを舞台に、蝶々喃々を重ねてゆく。
読んでいて、ひどく心地よい。
あたたかく、やさしく、まるで添い寝されて子守唄を唄いながら背中をとんとんされているような感じである。
舞台となっている街は、我が街・谷中。 そして登場する店やお寺や場所は、大体が「ああ、あすこか」とすぐにわかるご近所ばかり。
さらに栞がひとり暮らす「ひめまつ屋」は、場所はあすこでモデルの店は何樫か、と想像がついたりする。
だから読んでいると、栞がうちの前を歩いているような気持ちになってくる。
そしてさらに、登場人物もでしゃばらない程度にお節介で、ざっくばらんにあったかい。
粋なご隠居のイッセイさん、ほわりとやさしい老婦人のまどかさん、カツカツ靴を鳴らしてかしましいイメルダ夫人。
谷中は東京の下町として有名だが、そこでまさに皆が理想に描くだろう暮らしを栞は送っている。
古い木造の長屋に、着物の生活。 それは、アンティーク着物の店をやっているのだからユニフォームだというのかもしれない。
谷中銀座や赤札堂で夕飯の材料を揃えたり、根津神社前のあの店の焼きかりん糖をかじったり。
軒先の水鉢に金魚、小町と名付けた野良猫に、季節毎の祭事行事で毎日が潤い、ふとした隙がないように思える。
しかしそんな日常に、そよりと心に吹き込んだ春風のような春一郎との出会い。
あたたかい日常なのに、読んでいると常に胸に何かが引っ掛かってしまう。切なくなる。
だめだ、と手をひき、引っ張りあげたい気持ちにさせられる。
小川糸とは、こんなに素晴らしい作家だったかと、思わされる。
「食堂かたつむり」で一躍脚光を浴びたのは確かだが、格段に違うように感じる。
谷中を含めたこの界隈は、寛永寺からの大小の寺が百あまり集まっている寺町である。
歴史を紐解けば、寛永寺や根津神社にお詣りしたひとらを相手にした色街であった時期もある。
谷中霊園に跡がある「五重塔」は、叶わぬ恋の男女が心中の際に放った火で焼失した。
のどかで雑多で賑わう街の路地には、影のような世界がひっそりとある。
谷中は、こういった影すらも似合ってしまう。懐が深い、というのだろうか。
わたしが療養のために会社を辞めていた時期、行きつけだった食堂のおやじさんたちに言われたものである。
「無職だってんならツバメ、いやまあヒモだよ。兄さんなら簡単さ、なあ」 「そうすりゃ、小遣いもらって小説書けて、お互い色々補えるって」 「うちの飲み屋で引っ掻けるなら、場所教えてやろっか」 「いやいやいや、自分、酒はダメですから、それに」 「酒なんて飲ませるだけで、自分は飲まなくていいんだから」 「それに、飲んで役に立たなくなったら台無しだよ」 「がっはっはっ」
あっけらかんと、するすると話を進めて行く。
もちろん、その場限りの話で済んでいるので誤解ないようお願いしたい。
もとい。作中の粋なご隠居イッセイさんが、栞を諭す場面がある。
不倫は、それだけで麻薬みたいなもんだ。 やらないにこしたことはない。
一方で、
間違った出会いも、ある。 本当にこの相手でよかったのかと決めたあとで、やっぱりこっちの人が正解だった、て相手と出会ってしまうこともある。
と、やわらかく言い含める。
イッセイさんは、酸いも甘いもひととおりの痛みや喜びを味わってきたからこそ、栞に言えることがある。
また、自分にとって何が正しい気持ちか、それは他人や道徳や理屈ではどうにもならないことも、わかっている。
全体、この「叶わぬ恋」いや「許されぬ恋」を描いているのに、この世界に引き寄せられてしまう。
読み終わると、だからとても穏やかな満足感なのに、しくしくと胸の裏のほうがするのである。
それこそ麻薬のように、尾をひく幸福感を味わわせる小川糸という作家は、稀にみる存在になってゆくかもしれない。
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