「隙 間」

2011年06月18日(土) 揺らぐ

久しぶりに開いたページから
ハラリと落ちたさくらの花びら。
テーブル下に傘のしずくが海を作り待ち受ける。
花びらはまるで小舟のように、
着水。

浮かぶことなく浸水する姿は、
乾ききった心が求めているのか、
過去に溺れてしまわぬようにとの忠告なのか。
心が波立つ前に、傘の先でかき混ぜる。

しずくはまだまだ海を広げてゆく。

今日もまたお昼寝してしまい、夕方にやっと出かけてきました。
神保町の三省堂へ行き、そしてまたまた「さぼうる」で珈琲をいただきました。

お昼寝をしたせいで、今日がまだ土曜日だという気がなかなかしないのです。これは得した気分だと言い聞かせるようにしました。

今夜はまだ、野球の巨人戦の情報を一度もチェックしていないのです。
わたしが途中経過をみた試合は、ことごとく巨人軍が負けてしまっているのです。これはまさかの悪いジンクスなのではと思い、途中経過をみない、と決めてみているのです。

今はもうとっくに試合結果が出ているはずなので、後でチェックしてみたいと思います。

もしも負けてしまっていたら、わたしは気にせずに明日から試合経過を好きなだけチェックすることが出来ます。だけど勝ってくれていたら。複雑です。明日もみないようにしなければなりません。

たかが無関係な一般の一個人が勝敗を左右するなんて、とは思いますが、それでもやはり気にしたくなってしまいます。

さぼうるで寛いだはずなのに、どこかすっきりしないのは天候のせいなのか、気分そのもののせいなのか。

入谷朝顔市が、今年は震災に対する自粛ということが発表されていました。
朝顔を買ってはいませんでしたが、露店の焼きそばを食べに行く楽しみが今年はなくなってしまいました。
それがとても残念です。
毎年その為に準備していたり、楽しみにしていたりする人たちがいます。
自粛とは「やらないこと」ではないと思うのは、わたしの都合のよい自分勝手な解釈なのかもしれません。

泣いている友に、共に泣いて傍にいることも必要ですが。
肩を叩き、共に笑顔になろうとすることが必要なこともあります。
価値観をはかるものさしが、今あらためて様々なところで試されたり、変わりはじめたりしています。

手を取り合い、歩調を合わせる思いやりと。
手を取って、前へ引っぱってゆくやさしさと。
そのどちらが相応しいか正しく選ぶにはまだまだ難しいところだと思います。

どうか揺らぐことのないやさしさをこの胸に。


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