2011年06月20日(月) |
「あぜ道のダンディー」 |
青空を白く弾き飛ばしている夕陽はやがてビルの谷間から地平に消えてゆく 海から両手を広げて迫る雲はまだ白々しくやがて水平線から夜の色が染みだし暗灰色にすっかり覆う したたかな夜と未練がましい昼がせめぎ合う一刻
ここにはまだ、朝など存在しない。
朝目が覚めると身体中がコキコキと音を鳴らしそうなほど、冷えて固くなっているような感覚の日が続いてます。薄着で寝るのには気を付けましょう。 シャワーを浴びてやっと火照るような固さが解きほぐされてくると、冷凍肉が解凍されてゆく時はこんな感覚なんだろうかと、おかしくなってしまいます。
落ち着いている仕事をよいことに、遠征してきました。サービスデーでもないのに、映画です。 来る一日のサービスデーに向けて、平日仕事帰りに観られる作品を探していたら、どうしても観てみたい、だけど上映館が有楽町とかではない、という作品を見つけてしまいまして。
ひとり映画の醍醐味といいますか、気軽さといいますかとにかく今日これからなら間に合う、と駆け出してしまいました。
「あぜ道のダンディー」
テアトル新宿にて。 宮田淳一(五十歳)は、十九歳の息子と十八歳の娘を、今年大学入学が決まって東京へと送り出すことになった。 妻を十年ほど前に胃癌で亡くし、配送業をしながら男手ひとつで育ててきたが、どうやら最近、自分も胃の調子がよくない。
「女房とおなじ症状なんだ」
中学からの親友である真田にだけ、そっと打ち明ける。
「死ぬまでにやりたいことがある。いややらねばならない」
子どもたちは自分を無視するかのように、まともに会話をしてくれない。大学受験の結果すら、自分に教えてもくれない。
酔った勢いで部屋を訪ね、
「受かったようだな、よかった、ふたりともおめでとう」
よし、言ってやった。 父さんは、教えられなかったことをウジウジ気にしたりなんかしないんだぞ、どうだ。
「金なら、父さん、いっぱい持ってる。心配するな」
大学の金だって、心配するな、と。
しかし親友の真田の前で、酔っ払いながらこぼす。
「金ないんだよ、どうしよう。お前親父さんの遺産相続したんだよな?」 「わ、わ、わかった。工面してやる」 「俺が死んだらあの家は、女房に見せてやりたかったから買った家だったから処分してもいいからな」 「お、おうわかった」 「ローンはまだだいぶん残ってるけど」
「息子と娘のことは」 「わかってる、俺が面倒みる」
検査の結果はただの「胃炎」だった。
男は、見栄を張る。 男は、弱音を吐かない。 男は、格好をつける。 男は、泣かない。
「たったひとりの親友のお前にまで弱音を吐かなかったら、俺はどうしたらいいんだよ!」
「きみのお父さんは、ダンディー、でいたいんだよ」
そのダンディーを例え格好悪くても、ときに滑稽でも貫き通そうとし続ける宮田淳一(五十歳・父)の姿は、クスリと笑わされながら、じんわりと泣かされる。
上京を前に、淳一は娘の部屋を訪ねる。酔った勢いをつけて。 そうじゃないと、面と向かって話せない。
「ひとを好きになることは、恥ずかしいことなんだ。 舞い上がって、格好わるくて。 だけど男なら、その好きを最後まで貫き通せば、格好いいんだよ」
わけがわからない。
「わたし、好きなひとまだいないし。それに、女だし」 「いいんだ。お父さんはお前が、お母さんみたいに素敵なひとになってくれれば、それだけでいいんだ」
こんな言葉を言えるだろうか。 いや是非、言ってやりたいと思う。
格好悪いこととダンディーであることは、違う。 ダンディーであることは、ときに格好悪いことでもあり、それでも貫き通せば、絶対に格好よくなる。
男たるもの、ダンディーであれ。
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