2011年07月01日(金) |
「バビロンの陽光」「見えないほどの遠くの空を」 |
手を伸ばしてみなければ届くかどうか、 触れられかどうかさえもわからず。 しかし手を伸ばさず見ているだけなら、 夢か現かいつまでもなくなることもなく。
一日は映画サービスデーです。 観たい作品はすでに、入念に選出済みでした。 急いで仕度をして定時に会社を出ました。できれば二本観たかったのです。
「バビロンの陽光」
シネスイッチ銀座にて。 フセイン政権崩壊間もないイラク。老いた母は孫を連れて、戦地からもう九年間も戻らない息子を捜す旅に出ます。
祖母と少年は乗り合いバスやヒッチハイクをしながら砂漠の中を収容所になっている刑務所を尋ね歩いてゆきます。 しかしどの名簿にも名前は見つからず、係員から砂に埋もれた「集団墓地」を当たってみることになります。
「集団墓地」とは穴を掘って無分別にまとめて埋葬されたものです。 衣服や所持品等に名前があればわかることもありますが、何せほとんどが白骨化してしまっているのです。 祖母は誰ともわからぬ白骨たちの前にくずおれるしかありませんでした。
母親も既に亡く祖母とふたりきりでこの旅に出た道程で、孫のアーメッドは幼いながら決意するのです。 おばあちゃんを守って、ふたりでちゃんとしっかり、生きてゆこうと。 老婆と小学生ふたりきりの危なっかしく見える旅を道中色々な親切な人々に支えられ助けられてきました。いつまでもそれではいけない、と気付いたのです。
そう決意した、結局父親の骨の一片どころかいつどこで亡くなったのかその確証さえも得られぬまま家に帰ることにしたはずのトラックの荷台の上で、アーメッドが眠る祖母を見ると……。
生死の定かもわからぬまま何十年近くも、諦めも望みもない想いを抱えて生きてゆく。これがイラクの現実だそうです。 何十万人もの不明者。判別するのは不可能。いったい何を信じ祈ればよいのでしょうか?
続いて場所を移して、
「見えないほどの遠くの空を」
をヒューマントラストシネマ渋谷にて。
映研の仲間たちと共に、学生生活最後の作品を撮影する監督の賢。 主演女優の莉沙と衝突しながらも最後のワンシーンを撮影しようとするのですが、雨で撮影の中断を余儀なくされ、さらに撮影再開の前日不慮の事故で莉沙が死亡してしまいます。
未完のまま一年が過ぎ、賢は莉沙にそっくりな女性を街で見掛け、後をつけてそして、撮り残したワンシーンを撮らせて欲しいと頼みます。
彼女は莉沙の双子の妹で留学していたイギリスから帰ってきたところだというのです。 当時の映研仲間に連絡をとり、なんとかラストのワンシーンを撮影できることになるのです。 そうしてラストシーンを撮り終え……。
正直なところ、学生の卒業作品のような感じにみえました。ですがそれ自体が演出ともとれる感じなのです。 さらに、双子の妹が嘘なのか本当なのか、虚が実でしかし実は虚で、とわかりやすく錯綜させて組み立ててあって、虚に付き合うから味わえる面白さがあって、上映後はすっかり満足感でいっぱいになれました。
何よりも莉沙役の岡本夏月さんが大塚寧々さんのような透明感があり素敵なのです。
台本の台詞をめぐっての役者と監督の衝突ですが、先日の「もうひとつのシアター!」での有川浩さんのあとがきを読んだ時にも考えました。
読み手によって好きに受け取れる世界と、読み手に感じてもらいたい世界とは、必ずしも一致はしません。 それは世界を感じさせたいのか世界に関係なくメッセージを受け止めて欲しいのかによっても違います。 もちろん世界でメッセージを伝えるものもあります。
澄んだ空気の朝を迎えられたのは、きっと真夜中に人知れずひっそりと降った雨のおかげかもしれず。 草露のようなものでも恵みを感じられる明日が続いてゆきますように。
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