わたしたちは逃げているのではなく。 ただ一心に、目指しているだけだった。 そこにきっとあるはずのものを。 乱暴に掴まれた手は熱くて。 汗ですべらないよう掴み返す。 この先に何があるかなんてどうでもいい。 今はこの手のひらの痛みだけがあればいい。 それこそが得体の知れない者と危うげな者を繋ぐ、確かな証拠なのだから。
重松清著「せんせい」
教師と生徒、いや。 やはり「せんせい」という存在に対する物語を六つ収めた作品です。
生まれる我が子のために歌えるようになりたい、と教え子の生徒に夏休みの間ギターを習う物理の教師。 ロックンロールは「ロック」だけじゃなく「ロール」続けなくちゃならん。ニールヤングの曲と歌声がいいんじゃ、と。
画家だという美術教師は落選ばかりだったがある女生徒の才能を前にして真剣に指導するようになる。しかし結果は逆に悪くなってしまい、「妬んだんじゃ。才能を潰したんじゃ」と周りから言われてしまう。
前の担任に負けまいと意地になり、ひとりの生徒がどうしても好きになれずついに最後まで露骨にそうだと貫き通してしまった。同窓会で再会し、彼は教師になっていてこう言った。「せんせいみたいなこと、したらいけんと思っちょる」彼にようやく、せんせいは伝えられなかった言葉を口にする。
教師をやりながら野球部の監督を勤め「赤鬼」と呼ばれていた教師は病院で昔の教え子と再会する。途中で退学してしまった彼は「ゴルゴ」と呼ばれていたが、「そう呼んでくれて、覚えていてくれて、ぶち嬉しかったんじゃ」と笑った。 余命半年を告げられた彼は、「赤鬼は泣いたらいかんのじゃ。わしが死んでも、きっと」と妻に話す。そして「わしにとって、人生で最後のせんせいじゃ」とも。
当時の教師は、今のわたしよりもずっと若かった方ばかりという年齢になっています。 今のわたしは、誰かの人生で「せんせい」と呼ばれるにはこわいくらいに未熟者で、文句だけはいっぱしの口をきいていたりしています。
仕事で、まだヒヨッコだったわたしを「先生様」と現場監督にわざと呼ばれたりしたことがあり、やめてくださいよう、と笑ったこともありました。
学校の教師は、特別な「せんせい」という存在なのだと思います。 「せんせい」以外の何者でもなく、生涯ずっと「せんせい」であり続けるのです。
不完全でデコボコで、だけど紛れもなく「せんせい」であり続けている教師と、大人になったわたしたちは出会って「せんせい」と呼んできたことが人生の大切な一部になっているはずです。 よい思い出かよくない思い出かはそれぞれかもしれません。だけど最初に顔や名前を思い浮かべる「せんせい」がいると思います。
子どもたちがそんな「せんせい」と出会ってゆける可能性を、どうか摘んでしまいませんように。
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