土佐の高知のはりまや橋で、 坊さんかんざし買うを見る……。
今夜、丸の内から深夜バスに飛び乗ればまだ間に合う。 高知「よさこい祭り」がはじまってしまうのである。
まずは九日に前夜祭。 昨年の最優秀チームのステージでのお披露目があり、それはそれは見事な舞台と演舞が観られるのである。
昨年の最優秀「よさこい大賞」を手に入れた「連」(チーム)は「ほにや」であった。 「ほにや」が舞えば、和の淑やかさと小気味良さが、鳴子の拍子に乗って耳の穴から、いや全身の毛穴が開き、そこから入り込み、すっかり心躍らされてしまう。
「十人十彩」も見逃せない。 大賞に次ぐ「金賞」をとり、同月末にあった「原宿表参道元氣祭スーパーよさこい」にて最優秀賞を獲得したのである。
まさに「粋」「活氣」「発氣」
「ほにや」が艶姿ならば「十人十彩」は雄姿である。
祭りにあてられた、あれからまだ一年しか経っていないのが驚きである。 氣もそぞろである。 アラン・ドロンは怪傑ゾロである。
この気もそぞろなところは、高知城下は竹林寺の坊さんと同じ気持ちである。
ちがうのは、かんざしを買う相手がおらず、
とっさの放置の万世橋で、 おっさんきざはし川をみる……。
といったしようもないところである。
今年も「君が踊る、夏」がやってきたのだが、ああもう、何も手につかない。 女房を質に入れてでも、土佐にゆきたい。しかし残念ながら、質に入れる女房がいない。いないからやむを得ない。
「やっぱり熊野を歩くことにしたん?」
古墳氏がふと聞いてきたので、ええ一日は丸々歩きますと返事する。
「助けにいったらんからね」 「なぜ、救助が前提なんですか」
古墳氏は名古屋の方で単身赴任ある。 それこそ一年ぶりに、ゆっくりと家族と過ごしに帰省する。
「一年もまともに会っとらんのよ?」
うむむ。 長らく御世話になりっぱなしである。
車の確保もできたので、伊勢か高野山にも足を伸ばせそうなんですよ。
「えっ!」
古墳氏が、こちらがドキッとするほど驚いた声をあげる。 運転出来んの? 想像つかん。え、まじで? こんなときにしか乗りませんが、運転はしますよ。 まったく運転姿が想像できん。こわっ。
「落っこちても助けにいったらんよ」 「なぜ川に転落が前提なんですか」
伊勢から先は道が悪くなるからねぇ、熊野のあたりはもっと悪いんじゃないかな。らしいですねぇ、まあ、峠を攻めるわけではないので。 ここでふと、京のお世話になった扇子屋のお上さんの横顔が浮かんできた。いやいや、安全安心できる慣れた小気味良いハンドル捌きであったので、誤解なきように願いたい。
わたしたちの仕事に対する周囲のあまりの意識の低さに、古墳氏はすっかり厭世的になってしまっている。 いつもはわたしからはっぱをかけてはじまる定時以降の他愛ないやり取りが、お八つの頃からはじまっていたのである。
「後ろからこっそりついて回りたいね」
わたしがひとりきりで寂しくないように、付いて見守ってくれようだなんて、なんて思いやりなんですか。
「ちゃうちゃう。遭難するまでの道を見てみたいだけやし」 「だから、やっぱり遭難が前提なのはなぜですか」
「救助はせんよ」
いいです。葉っぱか川原の平たい石に、血で「恨みつらみ悔しさ怨嗟をたっぷりと」書き残してやりますから。 ヒマ人やねぇ。 ヒマだけはたっぷりと出来るでしょうし。 はっはっはっ、たしかに。
「助けてはくれないんですね?」 「あったり前じゃん、助けなんかせん、て」
もう別に構わない。 名古屋にはとても頼りになる一番の友がいるから、古墳氏は奥様お子様らとの団欒をこころゆくまで楽しんでいただきたい。
「そのお友達に、興味あるなぁ。飲んで語り合いたいなぁ」
わたしのことを肴に? そう。 そんで、救助にもいかせない。
……。
ここまで古墳氏が引っ張るのも珍しく、またなんとも表しがたいゆるんだ空気がたゆたっている。
やれといわれれば、なんだってやってやるんだけどね。自分たちの興味のなさ、やる気のなさが見え見えじゃん。 押し付けるだけなのと、一緒にやってくのと全然ちがいますからね。
ピリリと張った緊張感に、お盆休みをしっかり休みにできるか怪しかったのである。 ポキリとやる気をへし折られてしまったも古墳氏。とうに逍遙遊にふけっているわたしには、折られるポキリという音ではなく、カチッカチッという両手に鳴らされる鳴子の音しか響いてこないのである。
「ほにや」で踊っていた女の子、映画「君が踊る、夏」でモデルになった小児ガンと闘っていた小さな舞姫が元気に踊る姿を、今年観られるとしたら八月末の「スーパーよさこい」まで待つしかないのである。
「生きる」という行為そのものこそが、美しいのである。
踊れ、この夏。 舞え、この空。 迸れ、この汗。
夏が、またやって来る。
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