「隙 間」

2011年08月12日(金) 夏、はじまりました。

「あれ? 何でまだおるん?」

今夜から遭難しに行くんじゃなかったの?
などとはなんとも乱暴な発言である。

「金曜の夜発で旅に出るなんて勇気や思い切り、この仕事の状況で出せません」

なんやそっかと古墳氏がうなずき「もう九時過ぎとるやん」と目を見開く。
たしかに時計は夜九時をとうに回っていた。

「はあぁ」

思わず声にだして大きく息をついてしまったのである。
自慢ではないが、わたしは人前でため息をつくなど滅多にない。

古墳氏が「ど、どうしたん?」と仕事の手を一瞬止め、こちらを見てから、また元のようにマウスとキーボードをカチカチカタカタと叩き始める。

わたしは敢えて古墳氏の方を見ずに、顔は前の己の三画面横並びのモニターを力なく眺めながら、続ける。目の端で古墳氏がこちらを見たのも向き直るのも、ちゃんと捕らえていたのである。

「よさこいが、終わってしまったのです」

なん?

古墳氏が何のことか逡巡し、やがて「ああ」と記憶を掘り起こす。

「そんな好きなら、休んで行っとったらよかったんに」
「だから、行きたかったんですよ。だけど」

無理は承知の上の問答であった。
周りの席の人らは、はなから休んで盆休みに入っていたり、早くに帰っているものばかりで、はばかることなく話が出来る。

「大賞が、駄目だったんです」

高知の「よさこい祭り」の本祭は木曜に終わり金曜の夜は後夜祭が行われていたのである。
つまり、本祭二日間の「よさこい」の結果はすでに発表されていたのである。

映えある「よさこい大賞」は、「とらっく」(高知県トラック協会)が獲得されていたのである。
例年、たしかに見事な演舞を披露していた実力と実績のある連(チーム)である。

わたしの一番のお気に入りの連である「ほにや」は金賞を戴いていた。さらにもうひとつの一推しの連、いわゆる「推しレン」である「十人十彩」もまた金賞であったのである。

「ほにゃ?」
「はに丸王子のことじゃあないです」
「知らん。それは、知らん」

完全に覚えのある顔である。
しかしそこにかかずらうほどの自制がきかない。
「ほにや」とは「十人十彩」とはいかなる魅力があるのか、そして前夜祭では「ほにや」がグランプリを「十人十彩」が準グランプリを獲得したという華と実力と実績を併せ持った連(チーム)であることを、とくとお話させていただいたのである。

ようし、スッキリした。

すると時計は十時を回っていた。
なんともあっという間であった。

「ほんじゃ、遭難しても助けにはいかんから気を付けて」
「そうなんですかっ?」
「……」
「あれ? つれないなぁ」
「……」

放送時から世間での社会現象を巻き起こし、放送終了後およそ十年経った現在でもまだ話題となっている甘木少年葛藤戦闘アニメに登場した裏のある伊達男の台詞を真似してみたが、それはさすがにそのひと言だけでは古墳氏にはわからなかったようである。

いや。
すべてはその直前のわたしのひと言がファースト・インパクトを引き起こしてしまったのだろう。
ならば、と。

「しっかり生きて、それから死にますっ」

同じアニメの最初の劇場版から女性士官の名台詞を引用してみたのである。

目標、完全に沈黙。

セカンド・インパクトは引き起こされなかったようである。
すべてはシナリオ通り、であった。

非常用エレベーターで退出階に下って行くなか、頭の中では第九が高らかに流れていた。
あきらかにおかしなテンションである。

このテンションを誰かに伝えたい。

しかし、誰もいないのである。
まさかこんなことを、事情を露とも知らない名友に、家族を持つ身ならばすでに夜更けである時間にわざわざしゃべったくるわけにもゆかない。

わたしとてそれを自重する分別くらいはある。

八月末の「原宿表参道元氣祭 スーパーよさこい」の二日間で彼らの素晴らしい演舞を、たっぷりと観たい。
もちろん彼らだけではない。
全国から参加される他のわたしの「推しレン」も、会場地図と予定表と首っ引きになって追いかけ、つきまとい、たっぷり堪能しなければならない。

ああ。
わたしの夏が、はじまる。


 < 過去  INDEX  未来 >


竹 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加