「隙 間」

2011年08月13日(土) NO MORE

いつもはだいたい徒歩で向かっているけれど、出足が遅れて遅い時間になってしまったのです。

未知の地へ旅行に行くというのに、ガイドブックを一冊も用意していなかったのです。
沢山集めたつもりの資料は、どれも三大社と駅とバス停を結ぶ路線と時刻表ばかりでした。

古道以外の地図がひとつもないので、観光名所が他にどこにあるのかをまったく把握できないままでした。
それはいくら古道が目的だとしてもとてももったいないです。

それで三省堂が閉まってしまう前に行かなければならなかったのです。

地下鉄で向かって、階段を急ぎ足で上って、上りきって、ものすごい騒音に、全身が一瞬、硬直してしまいました。

バカヤロー!
テメーら触るんじゃネーヨ!
民間人に、触っちゃイケねーんだぞ!

汚い言葉遣いが大音量で、吐きつけられました。赤ん坊がいたら泣くどころではすまないほどの大音量です。

カン○ショは、民間人をフトウにコーソクするのか!
触ってんジャねーっつってんダロウヨ!

辺り一帯、警察の方々と警察車輌と簡易防護柵で交通規制がなされ、人々が遠巻きに見守ってます。

この辺りには中国や朝鮮に関係するものはないはずです。
あるのはもう少し違う場所のはずなので、こんなところでこんなことをする理由などわかりませんでした。

わたしはあからさまに、顔が硬直し、ひきつり、ピクピク震えだしてしまいました。

少し行けば靖国神社があり、祝祭日には彼らのような街宣車が通り過ぎてゆくことはよく見かける風景です。

だけど、こんなところで、こんなおおごとに、なぜ?

とにかく、スピーカーからの大音声が、まるで濡れタオルで全身をはたきつけるかのように襲いかかり続けるのです。
はたきつけられる度に、真っ暗で空っぽになったわたしの骨の空洞に、ふつふつと沸き上がってくるものがあるのです。

な、にを、ほざ、いて、やが、る。

耳の穴が体の内側から見えない何かに蓋をされ、視界がまるで単なる映像を眺めているようになりました。

あっはっはっ。

いっそ倒れて気を失うか、駆け出して逃げ出してしまうのが一番よいのです。

それほど、わたしの体内は「嫌悪感」で満たされていました。

見てやろうじゃないか。

はい。
わたしは天の邪鬼です。
やめとけばよいものを、こんなときだけ、やめたがらないのです。

わたし以外にもいわゆる好奇心に負けた一般の方はいます。
すると、神田須田町の方から別のシュプレヒコールが近付いてきたのです。

「原発、ノー!」
「(なんとか)は、いらなーい!」

デモ隊同士の衝突です。
しかも、

「原発、ノー!」
「ヤ○ク○、ノー!」

と続けて叫んでいるのです。

だからか。

だから警察も何十人と配備して、規制して、取り囲んで、警備していたのです。

彼らのデモを「テメーら」の大音量の団体が待ち受けて、抗議デモを威圧しようとしていたのです。

シュプレヒコールの意味が、もはや何のための何を目的にしたいのか、わかりません。

ひとつの団体で二つのまったく繋がりがない主張を同時にしたかったのか、もしくは二団体同時行動がデモ許可の条件だったのかもしれません。

原発の問題は確かに深刻で、一面的な問題解決は出来ないと思います。

もしも原発に反対するならば、その抗議を公にするならば、電気の生活を、今の半分まで落とした生活をしてから、抗議行動をするべきではないでしょうか?

デモをしているとき、自宅では炊飯器のタイマーが働き、街灯がつき、ビデオのタイマー録画がセットされ、追い焚きの熱々のお風呂があり、オール電化のマンションか一戸建てを求めている生活をしているひとがほとんどなのではないでしょうか?

震災以降、オール電化こそ実は、とうたい直されたりと、矛盾の社会は一層、その混迷を深めているように思います。

そんなことを考えてしまうのですが、最近、特に気になっている心配事があるのです。

私事ですが、イギリスで広がっているデモによる被害。各都市にゲーム感覚で加わっている若者が増えているというニュース。

親戚が、暮らしているのです。

デモの裏にはそれぞれののっぴきならない切実な事情があるのでしょう。

しかし、デモで人命に関わるようなことがあってはならない、命をかけるつもりでもそれはあくまで「つもり」のうちだけであってもらいたいのです。

まして、ゲーム感覚で人を傷付けるだなんて。

どうか、人間が人間らしく、自尊心を失わずに生きて、生き尽くせるこころを持ってゆけますように。


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