「隙 間」

2011年08月14日(日) 「未来を生きる君たちへ」

なんと、TOHOシネマズが毎月十四日をサービスデーに定め、千円で映画を観られるのです。

わたしとしたことが、まったく気が付いていませんでした。
ギンレイに次いでわたしのお気に入りの映画館シャンテシネ、もとい、TOHOシネマズ・シャンテは、名前の通りTOHOシネマ系列なのです。

TOHO系列という制約はあれども毎月一日と十四日の二日間は、映画を千円で観ることができるのです。

なんと素敵なことでしょう。

少し前、某シネマコンプレックスが格安のサービスを試行してみて、様々な話題になりました。
厳しい映画業界に、さらに自らの首を絞めるようなことになりかねない、と。

レンタル移行期間が短縮され、少し待てばすぐにDVDで何百円で自宅で悠々と観られるならば、わざわざ映画館にまで出掛けて、並んで、空調の加減や席位置に左右されて、ポップコーンとジュースの理不尽な高額さに腹を立てたりしなくて済むのです。

「観たいって言ってたDVD、うち来て、観ない?」

などと、思いを寄せる女性を自宅に誘えてしまうのです。
なんと嘆かわしい。

「ま、前売券。二枚手に入ったんだ。だ、だから、一緒に観に行ってくれないかな?」

と勇気を出して誘い、待ち合わせ時間までドキドキそわそわし、パンフレットを先に買うか、後で買うか迷い、上映中の暗闇の中でそっと彼女の横顔を見るチャンスを窺って集中できなかったり、喫茶店で映画の話ができるからと選んだはずが映画の内容なんてまともに話せなくて沈黙が続いてしまったりして、

「ああぁぁぁ、何をやってるんだぁぁぁ」

と頭を抱えたりすることが、なかなかなくなってきてしまうのは寂しいことです。

さて、すっかり脱線してしまいましたが、わたしは「おシャンティ」に、「ひとり映画」の常習者になるべく、行ってきました。

「未来を生きる君たちへ」

スサンネ・ビア監督。
2004年に「ある愛の風景」を発表し、わずか数年で「ブラザー」と改題されてリメイクされた気鋭の女性監督です。

原題は「復讐」だそうです。

難民キャンプの医師としてデンマークとアフリカを行き来するアントンには、関係があまりよくなく別居中の妻と息子のエイリアスがいました。
エイリアスは学校でいじめられていて、そこに転校生のクリスチャンが現れ、仲良くなってゆきます。

クリスチャンは、正義感の「ような」ものが強く、やられたのにやり返さないエイリアスが見ていられなかったのです。

ある日、アントンとエイリアスとクリスチャンが遊びに行った港で、腕っぷしだけにものを言わせて暴力を振るう男に、アントンが理不尽に殴られてしまうのです。

それでもアントンは、やり返しません。
それを目の前で見ていたクリスチャンは、我慢が出来ませんでした。

エイリアスに、君のパパがやり返さないなら僕たちがやり返そう、と行動をとりはじめるのです。
アントンはなぜ、やり返さないのでしょうか?

「やられたらやり返す。それは復讐を生むだけだ。そうやって戦争がはじまるんだ」

アントンは難民キャンプの医師です。
悲しい現実を常に目の当たりにしているのです。

難民キャンプに、重症の妊婦が立て続けに運ばれてきます。
皆、お腹を切り裂かれているのです。

「ビッグマン」の仕業だ。

現地の医師がアントンに囁きます。

「遊びで、男か女か確かめるためだけに、切り裂いて回っている悪魔だ」

その「ビッグマン」が、ある日アントンのキャンプの診療所にジープで威嚇射撃しながら現れるのです。

脛に傷口にウジがたかっている大きな生傷を「切断せずに治せ」ときりだし、「それなら、キャンプ内から銃と車を出ていかせろ。付き添いは二人までだ」とアントンは受け入れるのです。

「正気か?」

現地の医師がアントンに確かめます。
たしかに、彼を治してしまえば、また妊婦の犠牲が出てしまう。悪魔を放ってしまう。

「医師としての仕事をするだけだ」

アントンは、耐えます。
耐えるのです。
しかし。

ある日、治療も及ばず亡くなってしまった女性を前にうちひしがれていたアントンをみて、松葉杖で歩けるまで回復したビッグマンが、「死んだなら死体をコイツにやってくれよ」と部下のひとりをあごさすのです。

「コイツは死体とやるのが、大好きなんだ」

ひゃっはっはっ。

アントンはついに、キレます。

「歩けるなら出ていけっ」

アントンの迫力に付き添いの部下ふたりはとっとと逃げ出してしまいます。
アントンに突き飛ばされて松葉杖を失ったビッグマンは、

「俺は丸腰で、ひとりだ」

やめてくれっ。

首根っこを掴んで、脅えるビッグマンをズルズルと診療所の外へと放り出します。

外は、ビッグマンに妻と未来の我が子を奪われた難民たちが待ち受けていました。

取り囲まれ、引き摺られ、当然の如く、皆は恨みを、復讐を果たすことになるのです。

何が、正しいのでしょうか?

またそんなとき、息子のエイリアスが、クリスチャンにそそのかされるまま、なんと自作の爆弾で敵討ちをしようとするのでした。

もちろん人命を狙うのではなく、早朝の誰もいないときに、彼の車を爆破してやるだけのつもりでした。

いざ決行、その導火線が本体に辿り着こうとしたとき。

ジョギングをしている母娘が車のそばを通りかかろうとしたのです。

「来ちゃダメだ!」

エイリアスは母娘に危険を叫びながら飛び出してゆくのです。
クリスチャンは、身動きできず、ついに、爆弾に引火。

大爆発。
車は宙を舞って一回転。
爆炎に包まれ。

エイリアスは吹き飛ばされて遠くにうつ伏せたままピクリともしません。

エイリアスは無事なのでしょうか?
アントンのしたことは、正しかったのでしょうか?

わたしが勝手に思う中で、スサンネ・ビア監督は日本の西川美和監督のような存在になるかもしれません。

とにかく。
深く考えさせられる作品です。

このようなとても素晴らしい作品を上映してくれるシャンテが、わたしは好きです。

問題は、ギンレイでのちほどかかる作品が多いということなのです。

つまりギンレイ・ホールは、もっとわたしが大好きな名画座だということなのです。


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