「隙 間」

2011年08月18日(木) 熊野行路 第三夜「再生。忘却のカナタに」

えーっとお名前は……。
「佐賀」さん、ですね?

Σ( ̄□ ̄;)!

帰りのバスに乗り込む直前の座席確認をした時に発覚した

衝撃の事実っ!

そうかわたしは「佐賀」という名前だったのか。

これからは佐賀として、
清く正しくつつましく、
人生を……。

なんでやねんっ!
( ̄ .  ̄)ノ“

わたしの座席がない!
そんな……

バナナ!!
v(; ̄Д ̄)v

これは、
まさかの……。

「帰れない」!

てヤツですかっ!?

「センターに電話確認できる時間じゃないので」

運転手は「すみませんが」と、わたしの切符を座席表と並べて頭をひと掻き……。

じゃなくてっ!
(゜Д゜#



今日は一日車で移動です。

目指すは「熊野本宮大社」

熊野参詣のトリです。
那智、新宮を抜けて熊野川沿いに上流へ。

川はとてもキレイでした。
「瀞峡ジェット船」という観光船も走ってます。

ジェットだとか、
ビームだとか、

胸をくすぐられるのは、世代のせいでしょうか……?

「目から……」
(/−\)

「ビームっ!!」
∠゜∇)―ー☆

などといってる間に本宮です。

印象は、

……。

ちがうちがうちがう!
O(><;)(;><)O

ほかの二社が、身を削ってようやくたどり着いた先に……

↓∫∫た
↓∬∬き
↓∬∬!

だとか、

((巨))\(--\;)
((岩))┌(_ _;)┐
((!))<(。 。;)>

があったりして、

「達成感」
V( ̄Д ̄)どやっ

があったのに……。

拍子抜けというか……。
有難みがないというか……。

べべべ、別に
不満とかじゃなくて!
(´Д`;ヽ≡/;´Д`)/

どどど、どうか
罰が当たりませんように……。
~(-人-;)"~へ(のムへ)



熊野信仰とは、神道がすべからくそうであるように、いわゆる「自然信仰」から端を発している。

形なきものを大自然の存在に置き換え崇拝する。

熊野三大社も、当然、各々が象徴とするものがあり、

那智大社……滝
速玉大社(神倉神社)……巨岩
本宮大社……森

となっている。

那智大社と速玉大社(神倉神社)の滝と巨岩の関係は、有り体に言えば、それぞれの主神であるイザナミとイザナギに関係する。

巨岩と言えば、男性器の象徴である。
そして滝は、女性器の象徴なのである。

つまり、国生みの二神を生命誕生の象徴として祀っている。

では、本宮大社が「森」とは、どういうことか?

熊野の民にとって生きてゆくのに必要な「衣食住」は、全て山から、つまり森から与えられていた。
「衣」「住」は、木々の枝葉から、そして「食」は森に住まう獣たちを狩ることによって得ていたのである。

熊野の民は、大半が険しい山地であったため農耕ではなく、およそ狩猟によるしかなかったのである。

そして「森」を司る神がスサノオというわけであるらしい。

イザナギが黄泉の国からイザナミを連れ戻す途中、「振り向かないで」とのイザナミとの約束を守れず振り向いてしまい、連れ戻すことができなかった、という話は聞いたことがあるだろう。

帰ってきた後、三姉弟がイザナギ両目と鼻それぞれから生まれたのである。

もとい、その黄泉の国の入口、もしくはそのものがあったのが熊野である、という説がある。

「黄泉の国」は「根の国」ともいう。
「根」つまり地中深く伸びた先にある国という意味である。

スサノオは母であるイザナミへの会いたさで、根の国を目指す。
途中、アマテラスに旅立ちと別れの挨拶をしに会いにゆく。

実は、

「会いたい会いたい会いたい!
会いたいったら、会いたいんだい!
ママに会いたいんだい!」
O(><;)(;><)O

と父のイザナギに駄々をこねた。

アマテラスは高天原を、ツクヨミは滄海原または夜を、スサノオは夜食国または海原を治めるように言われていたのを、スサノオは拒んだのである。

「お父さんの言うことを聞かない子は、うちの子じゃありません!
出ていきなさいっ!」
☆(>o<(○=(-_-○

と追放されてしまったのである。
だから別れの挨拶を、というわけだが……。

「弟が侵略しにきた!」
(´Д`;ヽ≡/;´Д`)/

と勘違いされ、

「ちゃうわ! なんでやねん!」
( ̄ .  ̄;)ノ“

と必死の説得。
やっと誤解を解いたのだが、スサノオは、やはりアマテラスに乱暴を働いてしまう。

屋根に穴を開けて、そこから動物の死骸やらを、

ポイポイポイポ、
ポイポイポピー♪
\(゜ロ\)~(/ロ゜)/~

「もう、イヤ!
なんでどうして、
こんなシドイ目に、
遇わなくちゃなんないの!?」
ε=ε=ε=(/;д\)

と天の岩戸のくだりに繋がってゆくのである。

「短気」「乱暴者」だけで片付けてしまうのだが、スサノオが暴れた理由が実はずっと、背景に隠されていたのである。

アマテラスは太陽の象徴である。
農耕が主流になり、
田畑が増え、
人々は、

「山や森を開拓」し、

さらに拡大してゆくのである。

侵略してきたのはアマテラスの文化の方ではないか。

やられたらやり返す。

スサノオは森を守るため、アマテラスに力を奮ったのである、という解釈があるらしい。

……(ーー;)
話が前後してんじゃん。

……神話なぞ、時の権力者らによって書き換えられ、付け足されしてゆくものなのである。

つじつまが合ってないじゃん。
……(ーー;)

……したがって全体のつじつま云々など関係なく、説話毎や人物毎に象徴的な話の隠喩として。

でっ、たら、め♪
γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ
でっ、たら、め♪
γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ
でっ、たら、メ……

「目からビームっ!!」
∠゜∇)―ーミ☆(」x x)」

こうして、日本神話には様々な文化・風習などが暗に描かれていたりするのである。



熊野本宮大社だけを参詣するのではだめです。

熊野川と音無川の三角州にある

「大齋ノ原(おおゆのはら)」

こそが、本来の本宮があった地なのです。

ここは今の地に本宮を遷した後も大鳥居と柱神たちの幾つかが祀られてます。

しかし。

この地……。

「死体が漂着する聖地」!
Σ( ̄□ ̄)!

だったのです。
しかしその聖地であるがため、今で言う「パワースポット」でもあったのです。

……怖っ。
(;ーoー))))



熊野信仰には三不浄(赤白黒)がない。

ケガレとは、

「ケ」が「枯れ」ること

を指す。

一般に、「ハレ」(非日常の空間)と、「ケ」(日常の生活空間)の違いを表す時に使う言葉である。

現実社会で枯れ果ててしまった「ケ」(日常)を取り戻さなければならない、ということらしい。

つまり、

「清浄」や「浄化」に対するような「穢れ」

という概念がないのである。
伊勢信仰は「穢れ」を嫌うが、熊野信仰にはそれがない。

さらに仏教の衆生救済と深く結び付けられ、貴賤、老若男女、また病(癩病)によって忌み避けられてきたものらまでをも含めた民衆の間に深く広まってきたのである。



……ほげ?
〜ヘ(゜ο。)ノ~~

ケっこうケだらけ、
ネコ、灰だらけ!
〜(σ・∀・)σビシッ

わたしの「ケ」は、
完っっ全にっ、
枯れ果てて、カッサカサです!

さあ、熊野三山を回りきったら……。

次は、

「温泉」です!!

ε=ヾ(*~▽~)ノ

(ドボンっ)

……くっ。
∬ヽ(x_x;)∫∬∫
~~~~~~~~~~~~~~~~

あ゛、あ゛ぁぁ〜……。
∬∫(ノД`;)∫∬
~~~~~~~~~~~~~~~~

ふい〜……。
( ´艸`;)チャポ
~~~~~~~~~~~~~~~~

Σ(゜□゜;)//

なに見てるのよっ!
見ないでよ!
この……っ、
スケベえ!
ヘンタイ!

……なこともなく。

ひたすら、

ボヘェ〜……。
…(;´□`)〜ダッシュ(走り出す様)

としてました。

実は迷ってました。

本宮から新宮に戻って、天然記念物の「浮島」を見学して……。

那智勝浦に戻ったら三時半。
レンタカーを返すのが六時。
帰りのバス発車時刻が七時半。

さあ、どうしよう?
( ̄~ ̄;)

他の観光出来そうなところには、あまり興味がなかったのです。

今回の旅は、

八割が「大雲取越」
へへ〜(/;_;)┫へへ

一割が「熊野三山参詣」
<(_ _)>~▲~▲~▲~

一割が「まぐろを喰らう」
Ψ( ̄∇。 ̄)4
(<◎)マグロ)><)

で占められてました。

ガイドブックのほかの近場の観光地・太子町まで行って帰ってくるには時間が厳しい……。

温泉は足湯にしかつかってなかったんです……。

だから!

……。

温泉入ったって

いいじゃないですかっ!

のぼせてましたよ。

温泉で。

「大雲取越」を七時間かけて歩ききった自分に!
V( ̄^ ̄)!

あぁ、あぁ!
完っ全っに!
のぼせてたけど、
文句あっか!
ごるらぁっ!
ヽ(*`Д´)ノ

「太子町でクジラとイルカ」
てのもよかったかもねぇ……。
クジラとイルカねぇ……。

イルカ……。
太子町に……イルカ?

Σ( ̄□ ̄;;)!

(゜.゜;)
(・.・;)
(-.-;)
(..;)
(__;)
...☆\(__\)バタッ!

なぜだなぜだなぜだなぜだ、
ばかなばかなばかなばかな、
うそだうそだうそだうそだ、
そんなそんなそんなそんな……

やってもうたぁ〜!!
\(゜□゜;)/

「太子町」といえば、
「ザ・コーヴ」じゃないですか!!

社会的大騒動になった

あの、作品!

次々と上映取り止めになった

あの、作品!

「知能がある生物を、なんてヒドイことを!」

「自治体ぐるみでイルカを密漁し、食べている!」

日本に対して海外の捕鯨抗議団体が過激な抗議活動をして世間を騒がせていたさなかでの公開となったドキュメンタリー作品です。


公開予定の映画館が、次々と上映を取り止めていきました。

抗議やデモによる危険を配慮してです。

本来のメッセージではないところで、大騒動となってしまいました。
映画監督は言っています。

「オーストラリアでは、カンガルーを食べている。
ヨーロッパでも同じようなことはしているさ。
そんなことが言いたいんじゃない!

水銀など有害物質が体内に蓄積したイルカ肉を、クジラ肉だとか擬装して、一般の食卓や学校の給食に並べさせてることが問題だと言いたかったんだ」

実際の作品を観ていないのでハッキリ言えません。

その舞台となった町のすぐそばまで来たというのに……。

湯上がりのビン牛乳で、
口の周りに白ヒゲこさえて、

ぷっはぁ〜〜っ!
(≧∇≦)ノ□☆

などと腰に手を当ててる場合じゃなかったのです……。
σ(-Θ-;)ゞ

頭の中が、まさに真っ白に……。



次回予告

次々と消去されゆく記憶。
消された記憶の跡は、純白の空白かそれとも漆黒の暗闇なのか。
長々と続く記憶の迷宮。
繰返し再生することができない一度きりの過去の中に、いったい何があったのか?
光か闇か、はたまた希望か……?

次回
「キヲクの闇の中、光をツカムもの」

次回もまた
サービス、サービス♪


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