「隙 間」

2011年09月21日(水) 灰色のちぎれ雲、ひとつ

天気図をみた。
等圧線をわがもの顔で突き進み、前線のしっぽにまで噛みついていた。

あとはしっぽを丸飲みしながら、そのまま進むだけ。

「品川駅が改札を閉めてるらしい」

インターネットの運行情報のホームページは、「運行見合せ」の赤い文字が、次々と挙手しているところだった。

地下鉄は風が強いところだけが止まっていて、地下の風が吹いてないところはまだまだ安全のように見えていた。

半蔵門線と有楽町線が、紫色と金色から、赤色に変わった。

英子さんの電車じゃなかったかな、と思いだして、わたしの電車の色を探してみる。

京浜東北線の水色が赤くなっていた以外は、なんとか、どの色かを使えば大丈夫そうに思えた。

常磐線のエメラルドグリーンはとうに赤くなっていたけれど、千代田線の緑色はまだあくまでも緑色のままだった。

山手線のうぐいす(黄緑)色にいたっては、どこ吹く風で「ホーホケキョ」と知らんぷりだった。

「ホーホケキョ」と、高を括ったメールを英子さんに出してみた。
エメラルドグリーンが赤い限り英子さんは帰れない。
だけどわたしは色を選べばなんとかなる。

そのはずだった。

風は強いが、雨はやんでいた。
品川駅は電車が全部止まっていて、構内も駅前も復旧を待つ人ごみで真っ黒に溢れかえっていた。

桃色の都営浅草線も、改札に入れずに真っ赤な顔で押しくらまんじゅうをしている人たちでいっぱいだった。

わたしはお隣の田町駅まで歩くことにした。

二十分強の距離だから大したことないのに、なぜか田町駅までに限っては延々と遠い道のりに思ってしまうのだった。

だけど田町駅まで行けば、都営三田線が凛々しく揺るぎない青色でわたしを待っていてくれるに違いない。

根拠もなく、そう信じていた。

海風の強風につかの間煽られながら歩きはじめると、英子さんからメールの返信が届けられた。

どうやら、ウカイして大手町までたどり着いたけれど、そこで立ち止まってしまったらしい。

そこから先がなんであれ、わたしよりも先を越されてしまっていたことを知って顔が青くなった。

余裕シャクシャク、のつもりだったのに。

わたしは路線図を頭に描き直した。
都営三田線は、大手町駅で交差している数々の色のなかでも、きわめて謙虚に、物静かな剣士のように、まっすぐに駅を貫いていた。

立ち往生していた英子さんから、丸ノ内線でお茶の水まで出てカフェに退避することにしたという連絡が届いた。

丸ノ内線はもとから真っ赤なので、他の色が赤くなると止まってしまうよりも、多少、耐性があるのかもしれない。

英子さんのエメラルドがルビーのように赤く光っているうちは、まだしばらくそこにいる、とのことだった。
それなら、そこが通り道のわたしとタイミングが合えば、合流しようかと話がまとまっていた。

ところが、ようやくたどり着いた三田線は、改札口に赤い文字で「運転見合せ」を浮かび上がらせていた。

背中に「警視庁」の文字が書かれた濃紺のジャンパーを着た人たちが大勢、誘導や案内に奔走していた。

その中のひとりが黒い無線でなにやら確認していたのを、わたしは聞いていた。

「山手線が、これから、復旧する見込み」

その人は、それをあらためて皆に向かって大声で案内し直した。

山手線に向かい始める黒々とした人の川から外れて、わたしはまっすぐに、地上を歩きはじめた。

「これから」と「見込み」が、どれだけの時間をさしているのかわからなかったし、信用できても、駅内の溢れかえる人で、入場規制がかかったりするかもしれない。

三田線の青色の川を遡るように沿って、目指すは真っ正面に橙色に輝いている東京タワー。

まさかと思っていたが、震災の夜の再来のようだった。
あの日の夜も、東京タワーを目指して歩いた。

違うのは、逆らうような人の流れがないことだった。

自分のペースで、どんどん歩ける。
地面の下には、三田線の青い川筋が流れている。出口から出てくる人と出くわす度に、まだ動いていないか尋ねたりする。

芝公園、御成門。

増上寺の前を抜けると、東京タワーはわたしの背後へと立ち位置が入れ替わる。

「伊勢へ七度、熊野へ三度、愛宕さまへは月参(いせへななたびくまのへさんど、あたごさまへはつきまいり)」

十返舎一九の「東海道中膝栗毛」に出てくる一説を口に呟く。

その愛宕さま(神社)までやって来た。
もしもこの風のなか「出世の階段」を駆け上がったら、果たして頂上まで無事にたどり着けるだろうか、などと無茶なことを考えてみた。

夜闇にぱっくりと真っ黒な口を開けた鳥居の向こうで、巌然とわたしを拒むように切り立った石段が見下ろしていた。

そろそろ新橋のあたりだと思い出して、横路の先に見える山手線の高架をうかがうと、ちょうど「SL広場」に続く通りだった。

銀色にうぐいす色の線の車体が、引っ張られてゆく。

「あっ」

ホームに人が溢れている様子はない。
溢れていたってかまうもんか。
あと二十分と少し歩けば神田に着いて、今から動き出したばかりの山手線にスムーズに乗れたとして、お茶の水までゆくのに十五分くらい。

微妙だ。

スムーズにゆく可能性は、低いと思った。
だけど、そんな頭の中身とは別に、身体が赤い警告灯をピカピカ回転させていた。

SL広場のSLは、街灯りをてらてらと反射して黒光りしていた。

まるで、この街では来るあてのないジョバンニとカムパネルラが乗車するのを、いつまでも律儀に待っているかのように見えた。

わたしが停車場、いやホームにあがると、折しも電車が滑り込んできたところだった。
ホームに人が溢れていることも、電車がとても乗り切れないほどぎゅうぎゅうになっていることもなかった。

むしろ朝の通勤電車の方が息苦しいくらいだった山手線に、わたしは揺られていた。
秋葉原で降りると、ようやく気持ちが楽になった。そしてあと少しで、身体が赤色灯を回転させる余力すらなくなりそうなのを感じていた。

万世橋のたもとで赤レンガの旧鉄道博物館を眺めながら、まだ止まったままの黄色い総武線の線路沿いを歩きはじめる。

ゆるゆると交差するように登る坂道が、最後の試練だった。

この坂をのぼれば。

聖なる橋と銘打たれた「聖橋」にたどり着き、左手には緑青のドーム屋根をかぶった聖ニコライ堂がわたしを見下ろしていた。

ようやく、たどり着いた青い看板の店内にはいると、英子さんが待っていた。

半ば放心状態で向かいの席に座り込み、ぐったりしていたわたしをみた彼女は本気で心配そうな顔をした。

「もうトシなんだから、無理しない方がいいよ?」

同い年に言われると、痛切に身にに染みてくる。
反論する気力ももう底をついていたわたしは、「おかしいなぁ、こんなはずはないんだこどなぁ」と、千代田線が復旧してグリーンになるまでずっと首をかしげていた。

「ここ(お茶の水)からなら、もう普段から歩いて帰る距離だから」

本当にいつもの感覚で言っていることが、この日に限っては、本当にたんなる虚勢にしか過ぎないものになっていた。

それほどにまで疲労困憊だった台風の夜に、もしもただそれだけだったら最低な真っ暗闇な夜だったかもしれないけれど、英子さんと会えたことが唯一の救いかもしれない。

千代田線が無事グリーンになり、一緒に帰ったけれど、わたしだけ先に根津で降りて、そのまま走り去る電車の英子さんを見送った。

地上は、台風などどこ吹く風で、灰色のちぎれ雲が流れているくらいで、その灰色加減がなんだかいとおしく見えたりした。

そんな台風一過。


 < 過去  INDEX  未来 >


竹 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加