朝倉かすみ著「ほかに誰がいる」
「肝、焼ける」などの朝倉かすみ節を期待して読むと、きっと後悔する。
朝倉かすみが、思わぬ深みにまで踏み込んで描いた世界が、そこにあった。
まるで別人――。
幼い頃、人混みに母を見失わぬよう必死に手を伸ばし掴んで引っ張ったら、振り返った顔が口裂け女だったような感じである。
りえは、ひと目で恋に落ちた。 賀集玲子と出会うまでに十六年もかかってしまったと思った。
りえは玲子と、「わたしたち」という繋がりを得るため、そして、よりそれを固くするために、とことん没頭してゆく。
彼女は私にとって、まるで「天鵞絨(びろうど)」のようだった。 その肌も、その声さえも。
りえは、あくまでも親友であるという玲子への態度をとりつつ、やがて距離を置いてゆく。 しかしそれとは裏腹に、「天鵞絨(玲子)」との誰にも断つことの出来ない繋がりを求める気持ちがが、深く密やかに、その身をこころを駆り立ててゆく。
天鵞絨がこの世に生まれるために必要だった道具にしか過ぎないこの男を介して、私は天鵞絨と繋がっている。 もしもこの男との子どもができたなら、それは紛れもなく、天鵞絨と同じ遺伝子が私のとひとつになって、私がその母親になるという素晴らしいこと。
剥き出しの無垢な願望が、えりをいっそう、その先の深奥へと突き落としてゆく。
わたしはおよそ序のあたりで既に、部屋で平積みになっている一番上の一冊が気になりはじめて仕方がなくなっていた。
金原ひとみが、恋しくなった。
朝倉作品にわたしが感じている熱量は、蒸気機関の内で常に圧力を高めているようなものであった。 だから車輪は激しく熱く、先へ先へと走らしてゆく。
本作は、熱量が外に働きかけ、それによって走ってゆくようなものではない。
内に内に凝縮して、やがて一点をその凝縮された熱によって溶かし、その身を焦がし尽くすようなものである。
その先。
焦がし尽くすのではなく、地中深く蠢くマグマのように、表層からでは窺えない膨大な熱の塊が、自らを溶かし、溶かし続け、終わりなくそれを形なきまま繰り返し続けるような圧倒的な熱を孕んだものとして、金原ひとみ作品の方を求めてしまう。
しかし。
朝倉かすみは朝倉かすみである。 あの蒸気機関車のような熱をこちらの方に向けてきたかと、意表を突かれてしまった。
方向や目的はともかく、本作のえりほどの、ひたすらまっすぐに身を委ねられる感情の声を聞いたことがあるだろうか。
大したことではないが、とびきり大したことである「ひと目惚れ」という厄介なもののことである。
意図的に自制心のタガを緩めて、自分に「行け!」と命じるようなことは、いつでもある。
それこそ脊髄反射のように、理由など後からこじつけてゆくような感情のしでかしは、若さゆえの特権だったのかもしれない。
わたしは、中身は「中二の男子」のつもりである。
人生の半ばを生きようとしている身でそんな恥ずかしいことを言いきってしまうのもどうかと思う。
自重しよう。
ほかに誰がいる。
「ほか」の対する元々の対象がいないのが、悩みである。
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