「隙 間」

2011年10月23日(日) 「ガール」

奥田英朗著「ガール」

30代の働く女性たちが、社会や職場で「なにくそ」と自己のアイデンティティーを守るために奮闘する短編集。

奥田英朗は、まごうことなき「おっさん」である。

それなのに、

「なんてどストライクな女の気持ちを書き当ててしまうのだろう!」
「本当におっさんなの?」

と、阿鼻叫喚……ではなく、絶賛の嵐であるこの作品。

なぜこのタイミングなのかわからないが、来年の夏に映画化されるのである。

それほど、面白い。

奥田英朗節は好調とどまることを知らず、ぐいぐいと話に引き込んでゆく。

引き込んだ先が、働く女性たちが、必ずや出くわすだろう社会や職場での壁。
それを、ご都合主義の大団円だけでは終わらせない。

そうだよね。
そうなんだよね。
そうそう、それなんだよね!

もはや「おっさん」の一端に加わっていることを否定するのもはばかられると自覚しつつあるわたしだが、うなずきつつ、またあらためて納得させられ、気持ちよくページを繰らされてゆく。

企業ならではの派閥の壁に、男でさえ阻まれ抗しがたいところに、課長に抜擢される。そこには年輩の男性社員(生粋の旧体質)がいた。

20代は迷うことなく「ガール」でいられた。
合コン、社内サークル、メイクにファッション。
だけど30代になっても20代と同じように振る舞うのって、いったいどうなのさ、と疑問に思い始める。

シングルマザーで小学一年の息子とふたり暮らし。
事務職から営業に配属を変えて、バリバリ働きたい。だけど、周りはひとりきりで子育てがあるそんなわたしを気遣ってくれてしまう。
「子ども」を「錦の御旗」に掲げたくはない。
だけど、営業ともなれば深夜までの接待や日曜の営業。
参観日や、子どもの迎えだってある。実家は遠くて頼れない。
だけど、わたしは仕事がしたい。
学童クラブやヘルパーさんにお願いして、なんとかやってのける。
だって、やりたい仕事をやりたいんだもの。



わたしは、実際どうあれ、ひとりで全てを采配できる独り者である。
だからけじめなく、というよくない一面があるかもしれないが、夜十一時か零時まで普通に仕事、土日は意地で片方だけは「休ませてもらう」という状態のなか、伴侶だ子どもだという想像などつかない。

できれば、そうなれば、否応なしにそうせざるを得なくなる、または、するようになる、とはいうが、それは今現在をかんがみて、わたしにはかなり困難なことに思われる。

容易く「困難な」と開き直ってしまうのは卑怯かもしれないので、せめて半身くらいでとどまっているということにしよう。

そう。

男は、既婚も独身も、普段はさして変わらずお互い同じ世界で生きている。
子どもや奥さんは自分の次に位置して、それにすら自分では気付かないままでいたりする。

であるから十年振りの再会であっても、決定的な格差や変化がない限り、やがて変わらぬ旧交を取り戻せる。

しかし、女はどうも違う。

既婚、独身、子持ち、それぞれが決定的に違う世界の存在として、互いに意識的または無意識に、境界線を引っ張る。

居心地のよさは、世界の違う友人よりも、同じ世界だとわかり合える初めましてな人の方だったりする。

既婚者は、もしも独身だったら、子どもがいなかったら、と思いをはせ。
独身者は、もしも結婚していたら、子どもがいたら、と同じく目を細めてしまう。

結婚しててもしてなくても、どちらも半分はブルー。

どんな道を選んだとしても、他人を羨んでしまうもの。

女とは、難しいものなのである。

と、奥田英朗は代弁する。

今でもちゃんと頑張っている。
だから、無理してそれ以上にならなくてもいいんだよ?

そんな言葉を、感謝と我が身の反省を込めて、伝えられるようになれるだろうか?

それはわたしにとって、まだまだとらぬ狸の皮算用にしか過ぎないのである。


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