「隙 間」

2011年11月03日(木) 哀・戦士

半ば無理やり、休みを取ったのである。
今月から本社勤務になり、残業が百六十時間。実際につけられるものの限界値は九十時間程度であり、本来は三十時間程度までで業務を行うこととされている。

九十時間を越える場合、その状況によっては医師による問診等を、本人の希望もしくは管理者の判断によって受けさせることと親会社が定めているのである。

さすが大企業の親会社である。
十割出資の子会社である我が社もそれにならうことになる。
しかし、はいそうですかと鵜呑みにやれるわけがない。

さらばわたしの六十時間。

であるから、飛び石を繋いで連休にさせてもらっても文句は出ないだろう、と言うだけ言っておいたのであった。

しかし悲しいかな、本当に休めるつもりなどなかったのである。

水曜夜、予定表に「四日、休み」のささやかなわたしの自己主張に、上司の火田さんがやって来たのである。

いや、書いてみただけなのです。後で消しときます。

とあっさり引き下がるか。

休んだっていいでしょう、休んでないんだから。

とアムロ=レイのように振る舞うか。

「お休みするのね」
「はい、大丈夫でしょうか」
「大丈夫かどうかは竹さん次第だから、わたしからはなんとも」

仕事が大丈夫かどうか。
健康が大丈夫かどうか。

どうせ大丈夫でなくなれば、金曜日に連絡がきて、土日に出てやればよいのでしょう、とアムロを選んだのである。

帰宅した深夜、わたしは自分でも思いもよらない行動に出ていたのである。

「新幹線の始発で、伊勢神宮に行ってきました」

ふむふむ。
日帰りで行けないこともない。
新幹線の始発は、さすがにわたしには無理だ。
どうせならゆっくり回りたい。

甘木ブログを読んで、わたしはちょちょいと宿やら電車やらを調べだしていたのである。

新幹線を使い向こうで一泊するのは、甚だ時間と金が勿体ない。
得意の高速バスで、往復車中泊で現地を朝から夜まで回れて、金額は三分の一になる。

そこまでの妄想でそのときはとどめておいて眠りに落ちてしまったのであった。

あくる木曜、祝日の昼過ぎ。
仕事からの逃亡に予約を入れていた歯医者にゆく。

なぜだろう。
歯医者にゆくと、ケーキが食いたくなる。
脳が疲労すると糖分を欲する、その顕著な現れである。

ひとりでケーキを食いに店にゆくようなことはしない。

わたしはひとりだと、武士は食わねど高楊枝、なのである。

しかし食いたい。
こんなときに英子さんをダシにしてケーキ屋にゆけたらよいのだが、そんな理不尽なわたしの勝手が通じる相手ではない。

そもそも、連絡自体が通じないのである。

なしのつぶてに凹むほどでは、彼女の友人をここまで続けてはいられない。

わたしは歯医者のある御徒町から鶯谷に山手線で戻る。

なぜだか知らないが、都内で指折りの美味しいケーキ屋と評判の、

「イナムラショウゾウ」

が近所にあるのである。
休日は大行列でわたしなどとても並んではいられないのだが、それでもケーキが食いたいのである。

しかし、予想通りの大行列を目の当たりにして諦める。
ここでチョコレート専門の

「ショコラティエ・イナムラショウゾウ」

が谷中霊園の向こうにあり、そちらならそれほど並ばずに買えるのだが、わたしは「チョコレートケーキ」が食いたいのではないのである。

モンブランだとか、ショートケーキだとか、ムースだとかタルトだとかが食いたいのである。

坂を下って部屋に戻ろうとする。

最近出来たシフォン屋の前を通りすぎるが、シフォンでもない。

なぜだ。
なぜわたしの周りにはケーキ屋があるのに、わたしの望むケーキが手に入らぬのだ。

わたしはシャア・アズナブルのように苛立った。

ララァ・スンの白鳥が、湖面から羽ばたいた。

「セレネー」

ちょいとこだわりを持った、これまた美味しいケーキ屋が、赤札堂の向かいにひっそりとあるのである。

焼き立てフィナンシェが有名らしいが、わたしはそれよりもケーキである。

「あれとこれと」

わたしはガラスケースの前で指をさしていた。

認めたくないものだな。
若さゆえの過ちとは。

二種類のつもりが、四種類。
ホールを除いて六種類あったので、ほぼ大人買いである。

帰ってお八つに二個、晩に二個。
なんと素晴らしい。

わたしはもはや、躁状態である。

その勢いで、フォークに残ったマロンクリームを吸いながら昨夜の続きである。

おお、バスもまだ空席ありで、オンラインで全て手配を済ませられるではないか。
せっかくだから、日曜に不意をついて名古屋に寄ってみようか。
いやいやそれは不意をつきすぎて迷惑千万なだけだ。
ううむ。

うなっているわたしの意思を置いてけぼりにして、カチカチカチとクリックされてゆく。

「予約されました」

しまった。
確定してしまった。
えい、もう引き返せないのだから、発車するしかない。

阿房列車特別深夜特急の臨時発車である。

しかし、哀しいかな。

旅程はやはり、日曜早朝には帰ってきて、万が一の出勤に備えてしまっていたのである。
さらには、その万が一の連絡がくるならば金曜しかないので、金曜の日中は都内に待機して連絡がとれるように出発はその金曜の夜。

えい、仕方がない。
もはや本能の次元で危機管理してしまったらしいのだから。

明日の夜にわたしは旅立つ。
ここで我が敬愛する内田百ケン先生なら、だいたい手配をしてくれるヒマラヤ山系こと平山氏に理不尽支離滅裂な不平不満をたらたら聞かせてヒマを潰すのだが、わたしはひとりである。

しかももはや、現実からの逃亡に近い。

息をひそめ、やがて脳に糖分が満たされると、眠くなる。
夜中の十一時に、晩飯に残りのケーキ二個を食ったとき以外、寝てしまっていたのであった。

ララァよ、わたしを導いてくれ。


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