2011年11月04日(金) |
めぐりあい宇宙(そら) |
金曜の午後。
「お休みのところすみません」
案の定、というか、会社からの電話が入ったのである。 わたしの半ば無理やりの宣言の休みであったので、こんな心配はしていた。
急な締切の前倒しであった。
わたしがもらっていた仕事だが、火曜日までにその一部分を納めて欲しい、とのことであった。
出来ない話ではない。
最悪、日曜に早朝東京駅に帰ってくるのだから、その足で会社に行ってもいい。
とにかく、今夜、わたしは旅立つのは決まっているのである。
それでは全てを受け入れ、その明日さえをも手放せというのか。 否、そうではない。 旅立ちこそ、我が明日である。
今はゆこう。 重力から解き放たれるべく。 伊勢へ。
今夏熊野へ行ったときとは違うバス会社で、東京駅八重洲口側のとあるビル前から深夜十一時出発である。
往復で一万円也。 鉄道を利用した場合、片道だけで一万三千円前後かかる。 これはなんともお得である。
もちろん、車窓など堪能できるはずもない。
しかし、敬愛する内田百ケン先生の阿房列車においても、景色など二の次であるのでそこは関係ない。
関係ないからと車窓の景色をおろそかにすると、たちまち百ケン先生は雷を落とす。
見る見ないは別だが、あるのとないのとは大違いだ。
同行者のヒマラヤ山系こと平山氏を、けちょんけちょんに叱りつけることだろう。
さて、わたしの今回の深夜特別阿房列車における携帯品は、肩掛けカバンに、昼間大急ぎで打ち出した伊勢神宮他神社関係の案内図に、メモに、朱印帳、携帯電話の充電器だけである。
ちょいと神田神社にいってくらあ、といった程度のいつも通りな軽装である。
今回の旅からあらたに加わった朱印帳だが、すでに熊野三宮のご朱印はいただいてある。 訪れた先でひとつひとついただいてゆくその楽しみは、まるきり夏休みの小学生と同じである。
しかし。
肝心要な神田神社と根津神社のをまだいただいていないのは、紺屋の白袴といったところである。
余談だが、谷中の我が家の前はかつて藍染川が流れており、その名の通り藍染が行われていたらしい。 それを証拠づける染め物屋が、今もなお残っているのである。
さて。 逃げはするが、そこにすぐ戻って来なければならないという、プレッシャー。
なんというプレッシャーだ。
おそらくは帰省だろう荷物を引くひとびとのなか、わたしは帰ってくるために、旅立つ。
わたしには、帰るところが、あるんだ。
チカチカと点滅する光を目指し、わたしは東京の宇宙(そら)を飛び出す。
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