「隙 間」

2011年11月05日(土) 天女の羽衣うどん

土曜の朝八時半。

伊勢市駅前に降り立ったわたしは、そこから徒歩五分の伊勢神宮の外宮(げくう)へと向かう。

伊勢神宮の正式名称は、ただの「神宮」というらしい。
そして外宮とは「豊受大神宮」であり、祭神は豊受大御神(トヨウケビメ)である。

トヨウケビメとは、食物や穀物を司る女神である。
面白いことに、天照大御神が、

「すまん。わたしではとても食い物をまかないきれん。こちらにきて助けてくれ」

と、丹波にいたトヨウケビメを引き抜いてきたというのである。
なんとも王様な天照である。

そして「天女の羽衣」という昔話を聞いたことがあるだろう。

水浴びに夢中の天女たちの、脱いで松の枝に掛けていた羽衣を老夫婦が隠してしまい、

いやぁん、まいっちんぐ。

と人間界に引き留められてしまった天女こそが、トヨウケビメだったのである。

そんな破廉恥な妄想は、当然ながら参拝中微塵たりともしなかったことをいっておこう。

さて手順通りに外宮参りを済ませ、まだ時間は九時過ぎである。

別宮の「月夜見宮(ツキヨミノミヤ)」に足を伸ばす。

ここは天照の弟神「月読尊(ツクヨミノミコト)」が祭神である。
熊野のときに述べたが、どうにも存在感のない神様であったが、「つきよみさん」と地元の皆さんに親しまれているらしい。

さて参拝も済ませ、ちょうど店が開きはじめる十時になろうとしていたのである。

朝飯は当然「伊勢うどん」である。

「山口屋」さんの前を行きつ戻りつしながら、暖簾がかかるのを待つ。

はたからみると、まるっきり不審者である。
しかし、戸の前にひとりで待つという度胸はないのである。

朝一というのもあり、観光客の姿もあまりなく、当然、店に並ぶ姿もなかったのである。

暖簾が、かかった。

ここで焦って入ってしまっては、さもしいように思われるだけである。
もう一往復だけして、ガラガラと戸を開ける。

もう、やってますか。

やっているのは、暖簾がかかった時点でわかっている。

しかし、あえて尋ねるのが儀式である。

しばし店内は無音に包まれる。
どうやら一旦奥に下がってしまっているようであった。

ここで敬愛する内田百ケン先生ならば、しばらく無言で、店の者が出てくるまでイライラをこらえながらジッと待つのだろうが、わたしは違う。

「あの、すいません」
「ああ、はいはい」

すぐに若い店主が出てくる。

もう、大丈夫ですか。
はい、大丈夫です。ささ、どうぞ。

席を勧められ、着席する。
ご注文が決まりましたら、と茶を置いて厨房に引き上げる店主だったが、わたしは注文はすでに決まっていたのである。

しかし、着座してろくに品書きに目も通さずに注文してしまっては観光客丸出し然である。

壁の品書き、続いて芸能人の色紙、それらを区別なく見回しておもむろに店主に向かって注文する。

「ごちゃいせうどん」を。

本来はうどんとつゆのみのシンプルな伊勢うどんを頼むべきかもしれないが、朝飯もなにも食べていないのである。

「ごちゃいせうどん」とは、エビの天ぷら、肉、かやくなどのトッピングをのせたものである。

すると大女将らしき方が出てきてわたしに気付く。

あらあら、いらっしゃいませ。

ガラガラと戸が開く音と共に、

「ばあば」

と男の子が駆け入ってくる。
あらどうもすみません、いらっしゃいませ、と女将が三角巾にエプロン姿でやってくる。

どうやらこれで勢揃いのようである。

「すみません。お時間、お待ちいただいてよろしいでしょうか」

ええ構いませんよ、と申し訳なさそうな女将さんに答えて、テレビの画面にぼうっと見入って待つ。
「伊勢うどん」はうどんに求められるコシがなく、茹ですぎてぶにゅぶにゅとしている、とよくいわれる。

そもそも、「伊勢参り」に訪れるたくさんの人々を相手にいちいちひと玉ずつ茹でていたら間に合わない。
まとめて茹でておき、そこから提供するようになったのである。

なかには、伊勢うどんとは一時間茹でるものである、という意見があったりする。

それならば、そろそろ三十分が経とうとする今はまだ早い。
相変わらずわたし以外に客もいない。

朝からうどんを食いにくるよりも、参拝を済ませてから昼御飯にうどんを食いにくるのが普通なのだろう。

百ケン先生ならば酒を頼んで時間を楽しむだろうが、わたしは下戸である。
お茶をちびちびすすりながら、飽きもせずにテレビを観て待つ。

「大変お待たせしました」

女将さんがどうぞと盆に載せたうどんを持ってくる。
待ってました、と勢い箸をつけるのを耐え、これはどうも、とゆっくり端に手を伸ばす。

コシがどうのとのたまうが、わたしはこの「伊勢うどん」は、なかなか好印象であった。

すると、ちらほら他にお客さんがやってきだす。
「いらっしゃいませ」の合間に女将さんがわたしのところにやってきて、

「たいへんお待たせしてしまってすみませんでした」

と、卓の上になにやら差し出したのである。

木彫りの名前札の根付けで、「山口屋」と彫られていた。

どうやら売り物か限定品らしい。
土産物屋で買ったら、おそらく千円くらいはするかもしれない。

少なくとも浅草の新仲見世商店街にある店ではそれくらいゆうに超えたお値段だった。

恐縮いたみいります、とわたしは好意をすんなりと受け取る。
あたたかな「山口屋」さんのご厚意に胸も腹もいっぱいになったわたしは、次の社を目指す。

内宮にはバスで向かうのだが、その途中、どうにも気になる神社があったのである。

そここそが、今回のわたしの旅の象徴となるべき社だったのかもしれない。

この続きは、次回。


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