「隙 間」

2011年11月06日(日) 道開かねばならぬのか

伊勢市駅前からバスに揺られること十数分。

猿田彦神社

に、わたしはたどり着いた。
猿田彦とは天下りの際、天照を案内した神である。

天照やら、よくよく案内やら助けを得る神であるが、これはもしやすると、絶対専制的君主ではない、と民衆に刷り込ませるためのものかもしれない。

そはともかく。

猿田彦は「道開き」の神として祭られ、そしてやがては「道祖神」と同一視され信仰されるようになったのである。

なにかをはじめる際の守り神として、旅に出る際、道中の安全を願う神として。

ヤタガラスに飛び立たれたわたしとしては、次はこの猿田彦しかいないのである。

天照は案内のお礼として、猿田彦に仕えるように、と天宇受売命(アメノウズメ)にいいつけ、「仕える」ということがやがてひとびとのなかで「妻となった」と解釈され伝えられているようである。

アメノウズメといえば、天照が日本史上初の引きこもり騒動を起こした「天の岩戸」の話を聞いたことがあるだろう。

ドンチャン騒ぎして表に引っ張り出そうとしたとき、まず舞を披露した踊り子がアメノウズメである。

そのアメノウズメは、猿田彦神社内に向かい合うようにして、

佐瑠女神社(さるめじんじゃ)

に芸能の神として祭られているのである。
芸能以外にもご利益がある。

わたしはもっぱらそちらのご利益ばかりを求めてしまうところなのだが、今回は幾分違ったのである。

神妙に、道開きを。

しかしあたりは七五三詣でのおちびやおじょうちゃんや、保護者の方々で埋め尽くされていた。
まずは目の前の道開きを、といった次第である。

思えばここ猿田彦神社で、おみくじをひいておけばよかった。

伊勢神宮には、おみくじがないのである。

「伊勢に詣でた日はだれもが吉日」

といわれていて、さらにおみくじで吉凶を占う必要はないということらしい。

それでもおみくじが楽しみなひとのために、近所の「おかげ横丁」でおみくじをひくことができる。

境内で、鳥居をくぐった神域でひくからこそ、いいのである。
土産物屋の店先でひいても、ただ面白いだけである。

それをうっかり忘れて、猿田彦神社ではご朱印をいただいただけですっかり満足して出てきてしまったのである。

しかし。

鳥居をくぐって外に出た途端、カチリと、何かが腑に落ちた感覚になったのである。

あとはその「おかげ横丁」を抜けて、内宮に詣でるだけである。

うむ。

つつがなく、詣でることができた、と思われる。

というのも、印象が、ないのである。

おおっ、だとか、おや、だとか、そういった感慨なども含めて、いまひとつ、手応えのようなものが感じられなかったのである。

建物はそれは立派な伝統と格式と歴史を思わせるものではあった。
しかし、当たり障りなさ過ぎるのである。
それは外宮も内宮も共に、である。

強いてあげるならば内宮の一の鳥居をくぐった後にさわわと感じたくらいで、いたって謙虚かつ、だんまりなのである。

満たされないものは別のものでまかなおう。

時間は昼の二時を過ぎるあたりであった。
おかげ横丁で、昼飯である。

「豚捨」の牛丼。

「豚捨」の店名の由来は、牛肉が美味すぎて豚肉料理を出すのをやめた、というところからきているらしい。

この辺りは、松阪牛である。

正直な感想をのべよう。

わたしが作ったすき焼きの二日目あたりを飯に乗っけたようなものであった。
醤油みりん砂糖でくたくた煮詰まった、特別な肉も割りしたも隠し味も使わない味。

注文した品がよくなかったのかもしれない。

うむ、「すき焼き」を頼めばきっともっと素直に美味かったに違いない。

伊勢名物土産の「赤福」はいつぞやの汚名もすっかり返上し、大行列である。
それらを冷やかし通りながら、次の社に向かう。

月読神社

月読尊(ツクヨミノミコト)が祭神の社だが、まあ、曇天の夕方前ということもあるのだろうが、とにかく、シンと静かに薄暗くたたずんでいる。

ツクヨミの他にその親であるイザナギとイザナミも祭ってある。
並んだ社でツクヨミのだけがやや大きく、しかしそれ以外はあまり差異のないたたずまいで、それ以外は本当にひっそりと、まさに月夜のような静けさなのである。

静寂を掻き乱さぬようにご朱印をいただき、しずしずと社を後にする。

さてここから先は駅に戻り、帰りのバスの時間まで他に行くところもない。

今は夕方五時前。

宇治山田駅まで戻り、少し早いが飯にしよう。

「まんぷく食堂」

この店だけは、どうしても行きたかった店だったのである。

伊勢のB級グルメ
部活帰りによく食べた
クセになるボリューム飯

店名からして、究極的に魅力的である。

看板メニューは「唐揚げ丼」とくれば、わたしが見逃せるわけがない。

しかしながら、伊勢うどんもなかなかの味だとの声も聞く。

プチ唐揚げ丼と伊勢うどんの「新福定食」を注文する。
伊勢うどんが先に出され、ひと口すする。

お。

伊勢うどんには出汁で味を決める店と、醤油などの調味料で味を決める店とあるらしいが、この「まんぷく食堂」は、出汁派の店らしい。

美味いではないか。

続いて名物「唐揚げ丼」だが、「プチ」のはずなのに、う「どん」と普通の丼ぶりサイズなのである。

ナゲットのようなやわらかい唐揚げは、衣の醤油味に出汁がさらに染み込まされ、卵でとじてある。

わたしがもし学生時代にこの町で暮らしていたら、体の大部分がこの「唐揚げ丼」で出来上がってることになったであろう。

KARA-AGE

は、世界に誇る日本の料理である。
いつか、九州は中津を訪れて唐揚げ食べ歩き旅をしたいものである。

食事が終わり、時間は六時半。
バスの時間は八時過ぎ。

わたしはここで、またまた首都圏と地方とのギャップを感じることになる。

時間を潰せるようなカフェや喫茶店やファストフード店がないのである。

居酒屋なら、少しはある。
しかし、わたしには用がない。

それ以前に、店が開いてないのである。

伊勢市駅前は、言葉は悪いが、「さびれてなにもない」といわれていたりもする。

夜の八時九時に店など普通に開いている社会との差は、もはや文化の違いといっても過言ではないかもしれない。

結局、わたしは駅構内の待合室で、缶コーヒー片手に本を読みながら、ひたすらバスの時間まで待つしかなかったのである。

夜暗くなれば家に帰る。

そんな当たり前な生活が、ここにはきちんとあるのかもしれない。

何はともあれ、こうしてわたしの伊勢参りは幕を閉じた。

内宮に関していえば二度目だったのだが、どうにも印象がない。
なにやら岩戸をピッタリと閉ざされ、行き過ぎるのを待たれていたような感じである。

猿田彦神社でのあの感覚がなかったら、今回はまったく甲斐のない、ただ行ってきただけになるところであった。

それもこれも、気を抜くとたちどころに仕事への嫌な予感が頭を埋め尽くしてしまっていたからかもしれない。

忙しさがひく気配が見えない。

ここから「道開き」せよ、とのことなのか。
ヤタガラスが案内先を間違ってしまったのか。

年末までこわれずにすむかどうかはなはだ疑問である。


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