2011年11月17日(木) |
「ブラック・スワン」 |
「ブラック・スワン」
をギンレイにて。
ナタリー・ポートマンがアカデミー賞主演女優賞を獲った作品である。
ミッキー・ロークを往年のレスラー役に抜擢し、作品自体もまた素晴らしいものであった「レスラー」のダーレン・アロノフスキー監督。
優等生タイプのニナは白鳥の湖の主役オデットに抜擢される。 イメージ通りの白鳥は完璧に踊れているのだが、同時に演じなければならない官能的蠱惑的な黒鳥がまったく表現できずにいた。
ニナはまさしく、元バレリーナの母のカゴの鳥、だったのである。
バレエのために、夜更かし夜遊びは駄目、「わたしのいい子」と可愛がり、女である前にバレリーナたれ、と。
そのプレッシャーからか、ニナには無意識に自傷行為(背中を爪で掻きむしる)をするところがあり、それがまた母親を過保護にする原因にもなっていた。
大役を得たい欲望と、得てしまったプレッシャーと、うまく黒鳥を演じきれない苦悩と、代役に奪われてしまうかもしれない不安。
やがてニナは、抑え込んでいた己の心の闇に囚われ、しかしそのことによって完璧な「黒鳥」を演じることができるようになってゆく。
そして公演初日。
フィナーレのまばゆいライトの下で、ニナはつぶやく。
「perfect」
鳥肌が立っていた。
駄洒落などではない。
背筋から太もも、両肩、延髄に、寒気が走り抜けたのである。
公開当時、上野でも上映していたのだが、テレビや雑誌で絶賛されるほどわたしのなかの作品に対するハードルが高くなってゆき、実際に観たら残念な気持ちにさせられてしまう気がして避けていたのである。
アスリート以上に過酷な世界。
そこでトップに立つものとそのために常に差し迫られるものと戦わねばならない日々。
ここまでストイックに、狂気的に世界を描ききったアロノフスキー監督とそれに応えたナタリー・ポートマンが、素晴らしい。 まさに、
「perfect」
である。
さて。
篠原美也子のライブチケットが、ポストに送られてきていたのである。
おそらく先週より少し前だったと思うが、未開封のまま、もう直前にまでなっていた。
行きたい。
そう思うのが常であったが、もちろん申込みした九月某日の頃は有無を言わさずに「行く」以外の選択はなかったはずだった。 しかし十月からのこの環境の変化に、今は、指先が封を切ろうとピクリとも動かない。
休めるのか。 休めたとして。 休みに出かける、という行為を、脳が選択回避しようとする。
今まで変わることなく繰り返してきたはずの休みの過ごし方が、わたしの体内から無くなってしまっているようである。
しかし、休みたい。
ライブ云々はもう当日までおいといて、なるように任せるしかない。
嗚呼。
やらねばならないこと、やりたいこと、それらがすべて、あはれ楠河の夢と成り果てぬ。
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