「隙 間」

2011年11月19日(土) かの道は四十八へ通ず

「今夜、部屋に行ってもいい?」

うら若き乙女から聞かされたなら一発で舞い上がり、昇天間違いなしのこの台詞を携帯の向こうから発してきたのは、色気もなにもない名古屋の友からであった。

土曜の昼下がりにアンニュイな気持ちでまどろんでいたところを、さすが我が友、だてに二十年来の付き合いである。

「風」と聞けば「谷」と答え、「ぬるいな」と漏らせば「ああ」と頷く。

大学の同窓会で上京するも、翌日は仕事のためトンボ返りしなければならないらしく、実家に泊まるより我が家の方が断然楽なのはわかっている。

就寝環境を除けば。

また夜に、本当に泊めてもらいにゆくようならば連絡するわ、と電話を切られる。

うむ。
おそらく、いや確実に泊まりにくるだろう。

そうとなれば、友が前回きたときに押入れにねじ込んだままだった蒲団の「類い」を引っ張りだす。

蒲団についた埃は払っておこう。
しかし床の埃までは責任を負えない。

本来、せめて干しておくのが最低限の礼儀だが、あいにくの大雨である。

ホコリ高く、「fool in the rain」とゆくことにしよう。

しかし、友ひとりに関してのみならば、ゲホゲホハックチンズルズルルな有り様になろうとも、

耐性が足らんのだ!
見ろ、このわたしを!
わっはっはっ!

と、わたしはいってのけもするが、ホコリ高くなって帰ってきた友をお宅で出迎える奥様に対して、とても申し開きができない。

洗濯して、掃除機くらいかけておかなければ。

十月になってからこのかた、俗世間の垢にまみれにまみれ、己の垢にもまみれ、落とす余裕も払う手間もなく、ひたすら鼻呼吸を忘れぬように駆けてきているのである。

ああ、掃除もいいが、マリコさんとしゃわこさんの仕度をしなくては。

友の補完計画は遅々としてだが、二パーセントの遅れもなく進められている。

しかし、そこで思わぬアクシデントが起こったのである。

気がついたら夜になっていた。

光より早い速度で、わたしを置き去って世間は未来へと進んでしまっていたのであった。

アンニュイな目覚めの昼の時点で出勤を諦め、次はギンレイを逃してしまった。
これで飯まで逃してしまったら、わたしのなかは阿鼻叫喚の渦である。もっぱら胃袋によるものだが。

慌てて、かつ、ぐだぐだと、友がきても寝場所だけはあるように部屋のカタをつける。
そうして、胃袋の怨嗟渦巻く前に食事を買い出しにゆかなければならない。

なんと、今日初の食事である。

一日一膳。
なんとよい響きか。

「膳」の字は誤字ではない。
当て字である。
出勤でない土日は、たいがい、昼前から夕方まではタイムスルーして食費を浮かすことになる。

なんとエコロジー。

さて、つつましくも、ガツンと胃袋を黙らせる食事を済ませたところで、友がやってくる。

「部屋の暗闇に目を凝らすな」
「なんで?」
「見なくてよいものを見てしまう」

目など凝らさなくとも、きゃつらは威風堂々と、我が家を、我が家然として寛いだ姿を晒している。
もはや貫禄すら感じるくらいである。

見なくてよいものよりも、他に見せるべきものがある。
しかし、それをいつのタイミングで切り出すかなかなか図れずにいたのである。

そんなとき。

「竹のせいで、ことあるごとに気になってしまうようになったんだが」

と、友の方から切り出してきたのである。

なぬ?
何が?
何を?

いぢわるにすっとぼけて見せる。

しかし、わたしはサディスティックな人間ではない。
言い淀む友の姿を見て楽しむよりも先に、答えてしまう。

「マリコさまが?」
「と、なんとかさん」
「しゃわこさん、か」

食い気味に念を押し返す。

いや、みんなが映ったりしてるのを見かけたときに、どこにいるのかな、と。

それはもう、既に歩みはじめている証なのだよ、四十八への道を。

「そうか、それほど気になっているなら仕方がない。見せないわけにゆかぬではないか」

なにをぅ、と苦笑う友をおざなりに捨て置き、わたしはリモコンを繰りはじめる。

友の奥様へお断りをしなければならない。

テレビや街頭広告を見かけて足を止めたりするようなことがあったら、どうかあたたかい目で見守ってあげて欲しい。

今回は見せられるネタをわたしがわずかしかとっておいていなかったこともあり、とても残念であった。
しかし物足りなさがあるからこそ、それを自ら埋めようと感情がたかぶってゆくのもまた真理である。

真理がどうかはともかくとして、こうして夜は更けていったのである。


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