篠原美也子 tour 2011 花の名前「藍」 shibuya BOXX
前日泊まりにきた友が、仕事があるから、と名古屋へ帰らねばならず、昼に上野駅で見送る。
見送るまではよいが、見送った後がよくない。
友のおかげで、すっかり参った気持ちを抜けたわたしは、これでもう休みを充分に果たしたつもりになっている。
充分なのだから、あとはもう何もする必要がない。 帰って寝よう。 ウロウロ歩くのすら億劫だ。
歯医者を済ませると、もうその気になっていた。
篠原美也子 tour 2011 花の名前「藍」 shibuya BOXX
誰かと待ち合わせてゆくでもない。 行くも行かぬも、わたし次第。 誰にも迷惑はかけない。 一人でライブに行くよりも、帰って寝てた方がよっぽど今の自分に必要なことだ。
そうだ。 そうに違いない。
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渋谷なぞ若者という魑魅魍魎が跋扈する騒がしく怪しげな街に、映画以外で訪れる理由など、ない。
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「スーパーよさこい」で原宿から渋谷に抜ける以外で訪れる理由など、ない。
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この理由を除いて。
名古屋、大阪、フリーライブで宮城、そうして渋谷に帰ってきた。
姉御。 素晴らしき共犯者でも、雨の中の馬鹿者たちでも、何の得にもならないものに運悪く出会ってしまった不幸者でも、やっぱりあなたの歌が、歌う姿が、堂々と、か細い腕を突き上げたその力強い拳に、ありったけの願いを込めて、親指を立てて返したい。
およそ三時間はいつも通りの予定だったが、今回は三時間半超えのあっという間のひとときであった。
以前に比べれば、痺れるような感動は薄れたかもしれない。
しかし、ジンと染み渡るような、温泉旅行から帰ってきて入る我が家のお風呂のような心地好さが、ある。
宮崎さんと黒田さんのピアノとギターのツートップが姉御を気持ちよく後押しする。
「トイレ休憩」という名のハーフタイムショーには、
「Life is a Traffic Jam」
「ひとに難しい曲を弾いてもらいたがっちゃうんだよね、あたしって」
そういってバックステージから引っ張り出された宮崎さん。
「あれ、タバコ買いに行っちゃったの? 戻ったら、即、集合、って伝えて」
当日になって宮崎さんに連れてこられ、予定外で出演させられることになり、そうして出番をすませ安心した矢先にまた引っ張り出された黒田さん。
「凄い技術や思想や発想を持っているひとは、きっとたくさんいる。 だけど、思っていることを共有できる相手なんて、きっとなかなか出会えない」
それこそ、「素晴らしき人生の共犯者」である。
「たまたま身近で、これをこう、かたちにしてゆこう、と同じ考えを持ってくれたひとに出会うことができたのは、とても幸運でした」
こう言われて、どうよ?
照れ隠しに、振り返る。 言われた宮崎さんは、照れ隠しに鍵盤をひと撫でする。
ああ、こういう相手と出会える。 そして、そういう関係を築ける。 それはなんて素晴らしいことなんだろう。
ただ、いてくれればいい。
それはなんと一方的な傲慢か。 親が子に対して抱くそれならば、至上であるかもしれない。
疎通できる相手こそ至極。
事実の共有だけではなく、記憶の共有。
そしてそれを続けてゆける、その先を共に歩んでゆける。
友であれ、恋人であれ、伴侶であれ、そして仕事の相手であれ仲間であれ上司であれ。
そのすべてで、とは言わないが、どれだけのひとと出会えるだろうか、出会ってきただろうか。
せめて、このひとと何かを形にしたい、何かをしてゆきたい、と思われる自分であらねばならない。
百人にそう思われなくとも、ひとりにそう思われるような、確固たる自分のひとつを。
環境に飲み込まれるままではすまさない強い力を。
ときには折れて凹んだっていい。 芯となるものがあれば。
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